藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

できるか、できないか。

「きっとできる」

きっと 【▼屹度/▽急度】
(副)
〔「きと」の促音添加。「屹度」「急度」は当て字〕


(1)0 確実にそうなるだろうと予測しているさま。
「明日は―晴れる」「君なら―合格するよ」


(2)自身の事柄に関しては決意を、相手に対しては強い要望を表す。必ず。
「一〇日には―お返し致します」


(3)1 0 厳しいさま。状態にゆるみがないさま。

(三省堂 大辞林第二版より)

「きっとやれる」と言い切り、目標に一直線に進める人は、ともかく。


物事はシロかクロ、の単純ではない。

ひょっとしてダメじゃないか、危ないんじゃないか。
そんな想定は常に思い浮かぶものだ。


そんな中を
「できるかもしれない」という「目」を持って「どうしたらいいか」を発想する力。
しかも客観的に。


これは最近に「プロ弁護士の思考術」で教わったものだが、本当に役に立つ。



習慣にしてしまえ

「ダメじゃないか」と聞いたとたんに、
「できるかも」と反射的に思いが巡るようになれば、しめたものだ。


「できる」「できない」は実は表裏一体。
重要なのは見通す「距離の深さ」である。

しめた 1 【占めた】
(感)
〔動詞「占める」の連用形に助動詞「た」が付いた語。「自分のものにした」という意から〕事がうまく運んで喜ぶときに発する言葉。しめしめ。
「―、この問題なら解けるぞ」


(三省堂 大辞林第二版より)

そこから大逆転が始まる。

距離を見通し、力を尽くせば、(それで)ええやないか。


結局、結果とはそんなことの集積なのかも知れぬ。


そんなことをあらかじめ感じて、自分たちはことに臨むのだろう。
不可能、は可能にできるのだ、と思う。