藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

特別ではないこと










「2打席(の間隔)で(201安打目が)出たのは大きい。


残酷ですよね、時間は止まってくれない。
次の試合は始まってしまう。週1度の試合ならその間は気持ちいいが、そうではない。
ただ、(張本氏の記録は)重く感じていたが、今はそうでもない。
あのオッサンの記録を軽く超えてやりたいですね」
ZAKZAKより)

記録達成には言わずもがな、だが想像を絶するプレッシャーや絶望感があったのだろう。
そして、折々、「そんな気持ち」をあまり隠そうともしないイチロー


「天才」という言葉でくくってしまうのは逆に簡単だが「ことの本質」を見ていないのかも知れぬ。


自分たちは『天才、なのだから常人の苦労をしないで「やすやすと」ハードルをクリアしている』などと考えがちだが。

そうではなく「そんな恐ろしい苦労たち」を一から、当たり前のように「徹底的に乗り越える志」を持った人物が後に「天才」と称されるのではないか。


時代の寵児になればなるほど、我われはその存在を「神格化」したがる。
その方が崇めやすいのだ。
エキサイティングなのである。


だが、現実はそれほど単純ではなく。
天才は、やはりその練習量、積み重ねにおいても実は「凡人を凌いでいる」。
だから天才なのだろう。


我われがいたずらに「天才だ」というのは、その地道な努力の結果を「突如見て」忽然とそれが出現したように感じて崇めているのだろう。


天才だから、と批評する前に「その足元にうず高く積った」努力に敬拝したいと思う。


それにしても大記録、おめでとう。