藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

常識を疑うこと


高所得者が「取るか取らぬか」もめている。

どうも話の主題は「取るのもいいが、さらに使えばいい」みたいなふうに主旨が変わってきているようだ。


大臣の発言など聞いていると、閣僚には「消費刺激の責務」があるのだという。
その理解は間違いないのだろうか。


「消費刺激」。
消費を刺激、する。


今どんどん物を買い、金を使うことは正しいのか。

ということをエラい人は誰も言わない。


何かマクロ経済的には「そんな側面」もあるようには思う。
「実体以上」に消費マインドを冷やしても経済活動は捗らぬ。


とここまで書いて、やはり「冷えたまま」でよいのでは、と。
物はできるだけ「壊れるまで」使い、壊れたら修繕し、どうしても余るようなものはリサイクル。


マンションの粗大ごみ置き場を見ていると、使用不能になったゴミは殆どなく、「まだ使える」物が捨てられていることにあらため驚く。


要は「いったん膨らみすぎた雇用」の収縮に際し、政治家もオタオタしているのだろう。


結局少し長い目でみれば、いたずらに消費しない方向へと向かわざるを得ぬ。
今さらなのかもしれないが、「受け取ったら使えばいいのだ」と国会で宣言する首相を見ていて、どうも腑に落ちぬ。


定額給付は辞退すべし。