藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

中国の実力。

「巨大迷路」の中で、自分が残したかったもの。という題名で記事を書いたらエラい反応をいただく。
つくづく、ブログとは(他の紙媒体もそうなのだろうけど)西郷隆盛ならぬ、「強く打てば、強く響き、弱く叩けば、かすかに鳴る」というものなのだと痛感する。


自分などにとってはありがたいメディアである。

結局自分にとって、自分の人生など「巨大迷路」のアトラクションに似て非なるものなのだ、と思ったことが、一定の人の共感を呼んだのだろうか。

本当に「見えている人」から見ればアホらしい「当然の状態」が、見えぬ人間には見えぬもので、でも人の人生は大なり小なりそんな試行錯誤の連続であって。


でも「それ」をあらかじめ分かったように達観するのではなく、その時々に一生懸命問題に対処して生きる、というようなことが尊いのだ、とこの年で若者を見て思ったり、ということを表現したり。


まあこういうのも、結局は自己満足かもしれないけれど。