藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

老いてこそ、の自由。

仲代達也、1932年生まれ。
80歳を前にした大ベテラン。


7歳で父親を亡くし、ぜんそくに病む母と弟、妹の面倒を見てきたという。
11歳から行商をはじめ、辛酸を舐めながら二十歳からの役者デビューだったという。


今の我われからは想像し得ない苦労を経験してきたゆえにか、仲代がいま言う。

老いた今こそ自由を手に入れた気がしています。
青春というものは実に息苦しい。
若い頃は「役者としてもっとうまくなりたい」「お金を稼ぎたい」「世の中に認められたい」など、そんなことばかり考えて非常に窮屈でした。
でも、今はそんな気持ちは全くない。

これは実人生を生き抜いてきた、一人の人間の吐露である。

「老いた今こそ自由」。
一足飛びに我われが「この結論」だけを「いただいて」、鵜呑みにして良いものではない。
たぶん、消化不良になるだろう。
だが、こうした人生を生きてきた人が「こうした」心境に至っている、という事実はどこか頭の片隅に置いておいて、損はない。


いつかどこかの場面でこの言葉が心の琴線にふれることがあるやもしれぬ。
仲代氏の場合、むしろ多くの、業界や劇場文化への貢献があった人、だからそんな心境に素直に至れるのかもしれない。


平凡三昧で後悔多く、何にも懸命でいられなかった、という茫漠とした人生を歩んでいては、いくつになっても「達観の域」にはなかなか至れぬのではないかとも思う。

突然の過去はなし

自分たちは常に過去の延長で、今を生きている。

突然の明日もないし、また過去も無くならない。


今日の延長が果たしてどこまで続いていくのか。
そんなことを想像していきたいものである。
重ねて引用する。

老いた今こそ自由を手に入れた気がしています。
青春というものは実に息苦しい。
若い頃は「役者としてもっとうまくなりたい」「お金を稼ぎたい」「世の中に認められたい」など、そんなことばかり考えて非常に窮屈でした。
でも、今はそんな気持ちは全くない。


役者人生もそろそろ到達点にきたんだから、あとは自由自在に生きたい。
心が解放され、のびのびした気持です。(中略)


これまでにも新劇でしかできないことをやってきたつもりですが、それを次世代にしっかり受け継がせておきたい。
そして、もっとお客さんに足を運んでもらえる、魅力あるものに新劇を発展させることを死ぬまでに成し遂げたい。


どこまでできるかわからないですが、せめて道筋だけでも残しておきたいですね。
個人的な夢なんて、そんなのもういいですよ(笑)。


<朝日・どらくインタビューより>