機内の映画を片っ端から鑑賞。何せ軽く六本は見られるのだ。時間のムダとはある意味、素晴らしく楽しい怪しさを秘めているな、などと感じながら。
X-MEN。
エラい迫力の映画だが、これはまあ特集効果のCGがなければ、ただの派手なケンカかな、とか。
ワイルド・スピードは何か車という乗り物に、可能な限りの外部エンジン搭載合戦、みたいでちょっと別物感強く。
GOEMONは。
信長とか、光秀とか秀吉とかが、よく知った顔ででて来るのだが、まあそれにしても奥田瑛二の豊臣秀吉、というのはどうみてもトレンディードラマに見えてしようがない(ていうか江口洋介とかも含めてみんな現代のイケメンすぎて、戦国時代の匂いがしないし)、何よりこの映画もCGなかりせば、本当にテレビドラマ並みではないか。と驚く。
映画界がそういう風に視聴者を誘導しているのか、あるいは劇場型よろしく、観る側が「そういうもの」を欲してしまっているのかは問題であるが、今の時代、「筋で魅せる」というようなムズカシ系の作品は受けないのだろうか。
アメリカ映画はずっとそうだが、日本の映画界もずい分迷走しているのではないか、とも思った。
「余命一ケ月の・・・」はその題名から受けた印象そのまま。
韓国映画の純情漫画、も一瞥して感じたが韓国映画の大流行、はその単純さと純粋さ、つまり視聴者が予想した「想定範囲内」の悲劇が必ず起こって納得がいくという、「感情のカタルシス(浄化)」としての人気なのではないか。
と思って自説を友人に聞いてみたら、「そんなの、当たり前じゃん」とニベもない答え。(嘆)
文学性ということ。
それにしても今回の映画鑑賞タイムがもたらしてくれた気付き。
自分はビジネス系コンテンツ、以外からはよくよく縁遠いのだな。と改め思う。
ロードショーも六本を超えて、お腹が限界。
辟易したところで、アクターズ・スタジオ・インタビューの、ダニエル・ラドクリフ(ハリーポッターの主役)の経歴などを聞きながら寝てしまうことにする。
ほら、やはり文学性がを養う空間が必要なのかもしれないな。