藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

イメージできる感情こそ。

ほぼ日より。

逆に、これはあんまり‥‥というジェットコースターは
 なにが起こっているのかわからないような
 振り回され方をしてしまっていると思うんです

別に加速感とかG(重力)をただただ受けたいわけなどない。
いたずらに体に刺激が加わっても楽しくはない。

つまり僕らは「頭で予測できる"先"の感動」を欲しているのに違いない。
これは結構重要なことだ。

例えばハリウッド物でただただ刺激とショックとCGで埋め尽くされた作品が「やっぱりね」という評価しか得られないのはこの点にある。
「ただの殴り合いだらけの乱闘シーン」ではなく、「主人公が逡巡し、苦悩の末に放ったビンタ」の方がよほど心に響く。
よほど感情に訴えかけてくるわけだ。

エロの世界もこれだ。
いわゆる洋物のどぎついセックスシーン満載、というのは案外そそらない。
事前の設定とか、シチュエーションとか、そういう複雑な物があると、大して過激でない映像でもひどく興奮したりするものだ。

自分もエロ物は大好きだが、多分こういう「感情的エロ」を求めているのだと思う。
そう思うと、なんとなく自分の好みとか、周囲で言われている「エロティシズムについて」みたいな話も理解しやすい。
「ただの刺激」ではなく「頭が理解し、想像できる最大の刺激」が一番自分たちの心を揺さぶるのに違いない。

刺激ありき、ではなく「どうやって聴衆の心理舞台を積み上げ、整えていくか」ということこそが芸術作品の価値なのではないだろうか。

映画や小説は間違いないと思うが、これが音楽や絵画でもそうなのか。
ちょっと掘り下げたいテーマである。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 昨日の「今日のダーリン」

04月08日の「今日のダーリン」

・ジェットコースターを設計する人と、
 対談したことがある。
 世界中にジェットコースターは数々あって、
 それぞれに、設計する人の考えが反映されている。

基本的なジェットコースターは、
 いったん高いところに上って、位置エネルギーを獲得し、
 落下するときに独自の軌跡を描いていく、というものだ。
 ジェットコースターにエンジンがついていたら、
 それはもうスリルのある電車やモノレールであって、
 いわば反則ということになる。

ジェットコースターの基本的な設計というのは、
 右肩下がりの折れ線グラフのようなものを描いて、
 そのグラフの紙を曲げたりひねったりすることでできる。

ぼくは、格別なジェットコースター通ではないけれど、
 じぶんなりに「これはいいコースターだな」とか、
 「このコースターは、強引すぎるな」とか、
 いっちょまえの感想を持っていたりする。
 どういうのがいいジェットコースターで、
 どんなのがあんまり‥‥なのか。

じぶんなりの考えを、設計のプロの方に言ってみた。
 「速度とか、高さとか、ひねりとかありますが、
 ぼくの考えるいいジェットコースターとは、
 乗っているお客さんが、いまなにをしているのか、
 どういうことをされているのかわかっていながら、
 怖さを味わっているものなんです。
 逆に、これはあんまり‥‥というジェットコースターは
 なにが起こっているのかわからないような
 振り回され方をしてしまっていると思うんです」

たしか、設計の方は、それにうなずいてくれた。
 「次になにが起こるのかという怖さを想像させて、
 それを裏切ったり、ひっくり返したりを考えます。
 ぎりぎり、なにが起こっているのかわからないと、
 怖いというたのしさを味わえませんからね」
 やっぱりそうなんですね、これはなんにでも言えるなぁ。
 エンターテインメントって、理解と共にあるんですよね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
自然界の何にも似てないものって、記憶に残らないですね。