藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

読み返しの効用。

やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論

やるべきことが見えてくる研究者の仕事術―プロフェッショナル根性論

著者の島岡さんがフォローしてくれているので、あまりエントリーを続けるのも悪いな、と思いつつ自分としては「さらなる段階」に移行の予感が。


秋晴れの高台寺

夜の京都。


今日は会社のスタッフの結婚式。
抜けるような秋空の京都で、もう少し観光マインドがあってもいいのにな、と思いつつ新幹線で「研究者の仕事術」を手に取る。
と、まだ色々出てくること。

自分が「これ」と思った本と出会うと「徹底的にそれと向き合い、咀嚼し尽くす」というのは年に何度もないことだが、とても重要な行為だと今回気づく。

自分の人生で、これまで数度そんなことがあったが、その時ばかりは「脳が著者の思考とシンクロすること」を求めたように、何度もその著作を反芻し、マーカーで線を引き、付箋を付け、スタバに行くにも、スタンドバーに行くにも携帯しては読み返し、ひたすら考え込む、というプロセスに入る。


まあそういう著作に出会ったらラッキーというか、暗剣刹に出会ったというか、まあ仕方ない。
羊土社から出た、和文・数字・欧文の索引まで含めて178ページで2800円の本に惹きつけられたわけである。
(何と現在品切れらしい。ふふふ。こういう本はそのまま人知れず、絶版になって欲しい、という悪魔の声はさて置いて)

この本をブログでまとめようと思った際、大づかみで24くらいのブロックに分かれた。
これでも、最終の「研究者の自己啓発とキャリア形成のための20冊」という著者の推薦書評は別である。


そのまま、京都散策もする気になれず、日帰りで自宅に戻る。


徹底的に向き合う著作との出会い。


自分に出版の経験はないが、おそらくその「章立て」とか「推敲」とか、タイトル設定とか、読者層とか、想像以上に「出版」という作業はパワーの要る作業なのだと思う。
それでも、その作家の波長と合うかどうか、ということは読者マターである。
読者としては「数多(あまた)」ある著作から選び放題、ということになるが。

その中から「コレ」という肌の合う一品とめぐり逢えたら。
徹底的につき合うこと。を勧める。

そんな存在に出会うことそのものが稀なのだ。(そんな異性に出会うのが稀、というのと同じか)

世の中にこれほど本やネット情報が溢れても、「肌の合う逸品」に出会うのはなかなか至難の業なのだ。
ウェブ進化論」とか「研究者の仕事術」をいろんな人に勧めてきたけれど、反応は様々。

分かる人、響く人にしか伝わらない。

自分がブログを書き始めて以来、
自分がビビッドに反応した著作、と言う意味で今回「研究者の仕事術」を眺めてはっきりしたこと。

著作を自分の成長のリソースにできるかどうか、は読み手である自分次第、だし、
そんな機会を増やせるかどうか、は自分の柔軟性というか受け入れの「アングルの広さ」と重要な関わりがあるのではないか。

人生で良き友との出会いが「掛け替えのない存在」になるというのと同様、
よい著作との出会いも自分次第なのではないか、とこの度思った。

だって著者のメッセージというのは、出版の度にどんどん「発信」されているのではないか。
つかみ取るのは、自分たちの役割なのだ。