藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

「転機」に出会う確率。


人との出会いも、人生の岐路も、何でもそうかもしれない。
そもそも「母数」が少ないのでは、確率が少ないではないか。


100年前の戦時中のように、紹介されて「出会った人と添い遂げる」のが定め。という時代ならともかく。
そう考えると、「運命の人」との出会いもできるだけ機会を求めた方が良いと思う。
ま、それを「運命」に関連づけるかどうか、というのはとりもなおさず、その後の自分の処し方次第なのだけれど。

趣味との出会いとか


自分は三歳のころから音楽を習い始め、高校半ばでとん挫。
その後二十歳過ぎにバンド活動を半端に始めるも、立ち消え。
そのまま約二十年が過ぎた。


その後、多くの音楽を耳にしたと思うが、取り立てて記憶にない。
そして、突然四十前でいくつかの名演に出会い、「これが弾きたい」という強烈な動機で再び練習を始めた。


思うに「動機」とはそんなものなのだろうか。
日々何気なく見過ごしている出来事も、「自分にとって」は「動機のきっかけ」にできるかもしれない。


他人には何気ない出来事を、自分は「動機」に拵えて、何か行動のきっかけにしてしまう。
そんなことが、実は生きるコツなのかもしれないと思う。


ニュースでも、オリンピックでも、友人のメールでも、ツイッターでも。
そんな「動機のかけら」は周囲に転がっている。

それを捕まえて、自分の「断片」とし、自分の栄養として採り込んで「何か」の材料にするかどうか。


そんなことはすべて「自分の側」にあることなのだ。
チャンスは「こちら側」にいくらも転がっているということである。