藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ベーシックインカムの誤謬。


それにしても子供手当を幾らにするか、と年金や皆保険をどうするか、というような話の合間に、まだ事業仕訳が必要だとか。
挙句に「ベーシックインカム」なる言葉も登場しているらしい。
自分は先週初めて知った。
そして驚いた。
「基本収入」なんじゃそりゃ。

なんと、毎月十万円とか、生きていくのに最低必要なお金を国から毎月支給するのだという。

それが「ベーシックインカム!」。
何がインカムじゃい、と思う自分はやはり商業主義に毒されているのだろうか。(疑)
派遣法の改正とか、失業手当とか、減税とか、何とか手当、とか、どうも政策に元気がないというか、何か泥縄式のムリ筋な施策が目について仕方ない。

何か、制度に対する考え方そのものが「ヘタレ」ではないか。

弱者を切り捨てよ、とかいうのでは毛頭ない。
制度に頼って、愚痴ってもたれ掛かるなよ、と言いたい。
大きな体で、体はどこも悪くない若者が、「気持ちが入らず」に働けない。
やはり、環境がヌルいのではないか。


そこで政治のリードを。

優秀なプランナーとか、数学者とか、経済モデルの設計者とかの分野だと思うが、高齢化社会のリアルなGDP推移と、就業者の負担と、生活保障のレベル、をきちんと仮定し「税制の設計」をやり直さねば、永遠にこの問題は片付かないと思える。

その意味では、子供手当とか「とりあえず現金を撒いて、それで景気を持ち上げよう」などは邪道も邪道、スポーツ選手ならドーピングして競技しているようなものである。
それが続かないことも、大して効き目がないことも知っていながら刹那に走るのは、真に愚かな行為だろう。
あとで喜ぶ人間はどこにもいなくなる。

今働いている世代、これから働く世代、の一人一人が、高齢者とか未労働者を何人負担できる胆力があるのか。

しかも、製造業でバリバリにGDPが上がる、ということはもうしばらく想像しにくい時代である。
これまでとは相当違った制度設計にはならざるを得ないだろうけれど、きちんと「それ専用のシンクタンク設立」が必要ではないかと思う。


アナリストの藤原直哉さんは今こそ「政策投資銀行」の国による設立を提言されていたが、そういう「金の供給路」も重要だろう。
あまりにも。
あまりにも「お手当て行政」で、ちょっと日々のニュースを見ていても悲しくなる。
そして、そんな隙間を埋めるように、普天間基地とか、北方領土とか、北鮮の拉致だとか、政治献金なんかのニュースが並んでいる。


バシッと骨太のグランドデザインを作れる機関の創設を望みたい。
作るのは今なら「戦略相」の仕事だろう。
手足の事務のお手伝いくらいならいくらでも引き受けたいと思う。