藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

より複雑に。より困難に。


より安全な食物、とか
より長持ちする家電とか、道具とか家とか。
そしてより「心」に近づくようなサービスとか。


そんなものだけがこれからの成長産業だろう。
代替エネルギーとか言うが、それにしても「エネルギー消費の総和」が減少する、という前提に立てば今以上の雇用を生むこともない。
もちろん今以上の経済的な「数字」を弾き出すということもないだろうと思う。


そんな日々の中で。

仕事の陳腐化


これまでも何度か書いたことがあるが、改めて最近そう思うのでまた書く。
昨日の仕事と今日の仕事。


何か違いはあるだろうか。
ちょっと分からない。(ふつうは)


ではまあブログとか、手帳とかを見て「去年の仕事と今年の仕事」はどうだろうか。
同様に五年前は?
十年前は?
二十年前は、自分の場合は社会人になりたてだから、まあ駆けだしである。


それから一気に二十年経ったと考えれば、どうだろうか。

知識は?
スキルは?
どんなスキルがどのくらいついた?


価値観とか、生活習慣はどうなっている?


そんなことを考えると、まあルーキーのころよりは大分マシかもしれない。
けれど、段々年も取ってくる。
駆けだしのころは、まだ「伸びしろ」が十分ある。
新聞やビジネス書一つ読んでも、それ以前に比べればずんとまし。


だが、「そういう」伸びしろは段々なくなってくる。
そしてむしろ「柔軟性」なんかも欠けてきたり。
さらに「固定観念」などという澱も付いていたりする。
そう。

サービス業に従事する者が陳腐化したら、仕事はいずれなくなる。


製造業は巨大な分業が可能だから、自動車産業、という大きなテーマの中に様々な職種や業種が存在できる。
そして、その製造システムそのものが優秀なら、そこに従事するひとは必ずしも格段の進歩がなくてもいい。
(もちろん熟練、とかあったほうがいいが)
まず品質の高いものを一定レベル以上で作る能力があれば「産業丸ごと」護送船団でやれたろう。


だが、そのスキームも、一旦不況の煽りを受けたら、底辺から瓦解する。
それが今回の不況なのだと思う。

(つづく)