藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

淀みとの戦い。


事業仕分けも第三弾。
特別会計既得権益になっている」という与党の発言通り、「そんなことなのだな」と改めて思う。

今年度(22年)は180兆円!


それのどれ程が既得権になっているのだろうか。
自民党が、共産党が、というような問題ではない。
多分共産政権でも既得権化や、収賄贈賄、の類はなくならない、いや官僚汚職はむしろ増えるのだろう。


問題はどこにあるのだろうか。
一つには「固着化」があると思う。
いろんな権力とか、手続きとか、行事とかが「淀む」のである。

淀んだ水は腐り始める


というのは古来からの言い伝えである。

正解はあるか


では、「固着化せぬ方法」とは何か。
どんどん「新陳代謝」させれば良い。
昨今のメガバンクのようなものである。
長くとも二年、早ければ一年でどんどん担当者を変える。
そうすると確かに「淀み」は起こりにくい。
だが致命的な欠陥もある。

「人間関係」ができなくなるのである。


つまり、政権でも商取引でも。
長期化して「慣れ合い」になると、そこに隙が生じ、腐敗の元となる。
それは分かった。


が政治に「長期的な政策」とか
商売で「永年にわたる関係」とかがないとどうだろう。


お互いが皮相的で、あるいは刹那的な要素のみの付き合いとなり、殺伐とした関係にしかならないだろう。
政治なら、「長期の減税とか福祉よりも、今年からのお手当を」という風になりかねない。
今の短命政権を見ていると、実際そんな気がする。
政治家も愚かだ、と思うが国民もレベルが低い。


子供手当」を敢えてもらわず、それを子供に説いて聞かせる、というような対話が欲しいと思う。
そういった教育のために予算を使う、というのは「長期的ですぐには実感できない政策」かもしれないが、将来の日本人の教育観を必ずや高いものにするだろうと思うのである。

変わるキーワード


自分の世代は、戦中・戦後の経済的(あるいは人的)欠乏の時代、それでも誇りを失わず、毅然と生活していた先輩たちの話を、辛うじて直接聞いた世代である。
その世代が今の若者とは遂に断裂しつつある。
天皇制、とか戦争とか、高度成長、とか一つのキーワードでは単純過ぎて、説明しきれないのがこれからの時代だと思う。


戦争のない、けど高度成長もない時代に何を目標として生きてゆくのか。
しかも長期的に。

ということには「文化的な価値」にしか正解はないのではないか。

これからの政権も、これまでの路線にはない「新しい価値観」を謳わねば、国民の目もなかなか醒めないのではないかと思う。


雇用確保、とか景気対策、というのは最早いつまでも続くカードではない。
今の政権が「そこ」への足がかりになるといい。
そんな予感もするのだけれど。