藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

革命前夜。

*[次の世代に]シングルイシューて
最近の世論調査では、支持率トップに「ブレグジット党」(Brexit Party)が躍り出た。
「保守」「労働」のように理念を表す党名ではない。
単一の政策争点だけを掲げるシングル・イシュー政党だ。
ポピュリズム、と一言で言ってしまえばそれまでですが。
それにしても「離脱党」とは子供のようなネームじゃないの。
英国紳士は子供になってしまったのだろうか。
欧州でも政党地図は激変している。共通するのは極右やポピュリズム大衆迎合主義)政党が伸長している事実だ。(中略)
経済も軍事も、戦後体制は鈍い音を立てて崩れつつある。(中略)
令和の改革は、本当の意味で日本型を一から考え、積み上げていくしかない。与党も野党も時代に合わせて変わり続ける。それが過度のポピュリズムを防ぐ唯一の道でもある。

過去何千年、全く同じ条件の時代なんてあるはずもなく、令和の政治も初めての「一回性」の連続なのに違いない。

「過度のポピュリズム」は悪いもののように言われているけれど、実は今の時代の「革命の兆候」なのではないだろうか。
今ほど行政も政治も政府も膨張して身動きが取れない時代」も過去初めてのことだと思う。実に重苦しい。
ポピュリズムはそうした既成事実のリセットのために盛り上がっているのだと自分は思う。
静かなる革命が起きるのはそう遠くないに違いない。
 
 

外国モデルなき令和の政治 ポピュリズム防ぐには 政治部長 丸谷浩史

令和の政治が始まった。不思議なもので、令和も平成も、元号が変わって最初の国政選挙は参院選のめぐり合わせとなる。平成元年の夏、自民党は初めて過半数を割る惨敗を喫し、社会党土井たか子委員長に「山が動いた」と言わしめた。
それから何度、自民党は「終わりの始まり」と言われただろう。30年たったいま、自民党は衆参ともに過半数を持ち、1強状態にある。動いたはずの山が、いつの間にか元に戻ったのだ。
自民党はなぜ強いのか。理由はいくつもあげられてきた。政権への執着が強い、地元との密着度が他の野党とは違う……。だがもっとも大きな理由は、自民党の正式名称「自由民主党」にあるのではないか。
自民党は初めて下野した平成5年(1993年)、橋本龍太郎政調会長が「野党の今こそ長期ビジョンをつくろう」と呼びかけ、新組織を立ち上げた。橋本氏が自ら委員長を務め、主軸となる委員長代理は石原慎太郎氏に任せた。
喪失感と無力感に覆われていた自民党にあって、ここでの議論はベテランから若手まで活気があった。「タカ派」の石原氏が主導する会合に「リベラル派」の代表格、加藤紘一氏は「保守もリベラルも、タカもハトもない」と毎回、欠かさず顔を出した。
自民党という名前が古くさい」と党名変更も話題になった。当時のはやりは「新」の字や、柔らかい印象を与えるひらがなだった。これを聞き及んだ梶山静六氏は「自由主義と民主主義、両方が入っている党名なんてそうはない。何でもできる」と笑った。事実、その後の野党の党名には「民主」や「自由」が多くみられる。
その後、非自民政権が内輪もめを起こし、政略の季節になると、ビジョン論議は急速に沙汰やみとなり、行動に移る。そして社会党委員長を首相に担ぐ奇策で政権に返り咲いた。当時、小渕恵三氏は「我々はハト派政権であります」と宣言してみせた。
名は体を表す。政治の世界で大義名分、建前は極めて重要になる。「自由民主党」はその名前の故に、あらゆる主張や政策をのみこめた。翻って安倍晋三政権はどうか。日本の政治を少しでも知る外国人が不思議に思うのは「安倍政権は本当に保守なのか」だという。米欧諸国で移民政策は国論を二分する大問題となっている。
安倍政権では首相と菅義偉官房長官が「移民ではない」と確認したうえで、外国人労働者の受け入れ拡大をあっさりと実現した。賃金も政府主導で引き上げている。これが外国からは「リベラルな中道政権」に映る。
主義や理念の定義はさまざまだろうが、いわゆる保守と中道・リベラルが違和感なく共存する空間が、首相官邸自民党にはある。平成の2度にわたる政権交代があわせて4年ほどで終わった理由のひとつも、ここにある。「非自民政権」とは、自民党でないことがアイデンティティーとなる。自民党は昭和30年以来の長きにわたって政権党の座にあり、その政治手法は日本社会そのものに組み込まれている部分もあった。
自由民主党」を全否定すると、政権運営のモデルは外国に求めざるを得ない。2009年の民主党政権は、それを英国に見いだし、政府と与党の一元化を一気に進めようとしたこともあって、つまずいた。政権奪還をはたした自民党は、民主党の失敗を教訓に、首相官邸主導や与党優位に働く小選挙区制の政治システムを、20年かけて完成形に導いたといえる。
制度は完成したと思った瞬間に綻びが生じる。強すぎる官邸がブラックボックス化し、政官関係にゆがみが生じるなどの指摘も出てきた。では、新たな改革モデルをどこに求めるのか。
幕藩体制から近代に脱却する時から、日本の政治はドイツや米国など外国の制度を参考にしてきた。平成の政治改革でモデルとなってきた英国の二大政党制は、ブレグジット欧州連合からの英国離脱)で機能不全をさらけ出した。最近の世論調査では、支持率トップに「ブレグジット党」(Brexit Party)が躍り出た。「保守」「労働」のように理念を表す党名ではない。単一の政策争点だけを掲げるシングル・イシュー政党だ。
欧州でも政党地図は激変している。共通するのは極右やポピュリズム大衆迎合主義)政党が伸長している事実だ。既存の政治勢力が改革を怠り、民意が離れれば、ポピュリズムが台頭してくるのは、戦前の日本も含めて歴史の教えるところでもある。
もうひとつの世界の特徴は、自国優先で民意をつなぎとめようと、力による政治と外交が横行することだ。米国のトランプ大統領は「経済も軍事も、今なら勝てる」とばかりに中国に攻勢をかけ、同盟国への要求も強める。経済も軍事も、戦後体制は鈍い音を立てて崩れつつある。
米欧諸国に比べれば、日本の政治は安定している。もはやモデルとすべき外国の政治システムは、存在しない。自民党の支持基盤も、中選挙区時代ほど強固ではない。野党からも「保守イコール自民党」でなく「我々も保守だ」の声があがってきた。令和の改革は、本当の意味で日本型を一から考え、積み上げていくしかない。与党も野党も時代に合わせて変わり続ける。それが過度のポピュリズムを防ぐ唯一の道でもある。
丸谷浩史(まるたに・ひろし)
1989年日本経済新聞社入社。政治部、経済部で自民党や旧大蔵省などを取材。米ワシントンにも駐在した。メディア戦略部長を経て、現在は編集局次長兼政治部長