大体、自分たちは「いつか死ぬ」ということを知っているくせに、なかなか「それ」に対して準備をしない。
もっとも生物としては「それ」は最も考えたくないことの一つであるから、心情的には理解できる。
しかし、「その時」は必ず来る。
自分も経験したが、「そんなはずはない」という人が亡くなった場合ほど、周囲のダメージは大きいものである。
100歳のお年寄りが大往生した、というニュースでは、悲しがるよりも「よくぞここまで」という空気でお祝いする、という感覚が強い。
逆に若い人がなくなるほど、我われはその理不尽さに涙するのである。
さて。
現実に自分が死ぬと、財産やら借金やらの後始末とか、生活空間の整理とか、それはそれで残った人に大変な負担をかけるな、と思うのだが。
そういえば、最近の撮影した写真のコンテンツとか、書きためたブログ、なんかは財産というのはおこがましいが、それにしても「ソフトウェア創造物」の多くは、もう紙ではなく、「デジタルもの」にウェイトが移っている。
そしてこの「デジタルもの」は紙のように「手渡しで」というわけにはいかず、ウェブサイトに入って、所定のIDやパスワードなどが必要になってくる。
いずれクラウドが進めば、ほとんどの自分の所有財産の情報は「あちら側」に存在することになるだろう。
ありとあらゆる「デジタル資産」は、IDの管理も相まってこれからはアナログのお金や通帳や判子同様に扱われるようになるだろう。
それにしても商人の目の付けどころには感心する。
すでにそんな商売が始まっているのだ。
もし急死、デジタル資産どうなる 米で相続サービス拡大
もし交通事故で急死したら、インターネット上に保存した家族の写真や電子メール、簡易投稿サイトへの書き込みなどの「デジタル資産」はどうなるか――そんなことを考えたことはないだろうか。
米国などで、そんな心配にこたえるデジタル資産の相続サービスが盛んになっている。
デジタル資産の管理は、ログイン情報(利用者名とパスワード)が必要だが、それを知る人物が死亡すると、手出しできなくなる。
そこで、ログイン情報を死亡後に、指定しておいた人に伝えるサービスが増えている。
カリフォルニア州の「Legacy Locker」はログイン情報の保管を受け付け、顧客が死亡すると、家族らの確認を経て、生前に指定した相続人に情報を伝える。
「if i die」というサービスは、生存確認の電子メールに1カ月間返事がないと「死亡」とみなし、生前に登録したメッセージを、指定した人に届ける。
これらは日本からも利用可能だ。同様のサービスを提供するウィスコンシン州の「Entrustet」は「大きな反響がある日本でも死亡確認ができるようにしたい」と、日本での事業展開に意欲を見せている。
ログイン情報は秘密情報なので、各社は「生前は安全に保管し、死亡確認は厳しく行う」ことを売り物にしている。
死後のデジタル資産の問題は、ネットに親しんだ世代が増え、拡大するとみられる。
国内のブログや交流サイトの運営会社によると、遺族から連絡がない限り、故人はサイト上で「生き続ける」ことになる。
英紙フィナンシャル・タイムズによると、イラク戦争で死亡した息子の思い出を再現するため、両親が2005年に米ヤフーが提供する無料メールのアカウントの譲渡を求めてヤフーを提訴し、裁判所は譲渡を認める判断をした。
しかし、米ヤフーは現在も譲渡を認めていない。
ヤフージャパンも「基本的に遺族によるログイン情報の継承は認めていない」という。
交流サイトを運営するミクシィは「問い合わせに個別に対応している。日記などのコンテンツの権利は相続人に引き継がれる」と話している。
ツイッターは本人死亡の場合、家族らの求めでアカウントの消去や「つぶやき」のコピー提供などを行う。
「アメーバブログ」の運営会社サイバーエージェントは「遺族からの申し出で削除などの対応をしている」という。一方、自分のパソコン内に保存した様々なデータの死後の扱いも気になるところ。
ソフトウエア会社「シーリス」(大阪市)がウェブサイトで無料公開しているソフト「僕が死んだら…」は、死後、見られたくないデータを消去する。
生前に見られても良いデータと、そうでないものを選別しておき、遺族がパソコンのデスクトップのアイコンをクリックすると、故人の音声や文章でのメッセージが起動、同時に指定されたデータが消去される。高度な消去技術で復元は困難という。
同社の有山圭二代表は「自分が使うために作り、知人に配ったら評判が良くて公開した。
4万件以上のダウンロードがあった」と話している。(勝田敏彦=ワシントン、松尾一郎)