藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の悦びってなに。


ナルシズムの強い人ほど、「敗者の表情」を見て反応するという。
自己愛、自身への執着が強い人ほど、実はさらに「排他的」なのだろうか。
そう思えば、思い当たる。


今回の調査は千葉の研究チームがまとめたということだが、題材にあまり「技」の修練の関係のないトランプゲームを題材にしたという。
ちょっとこの辺りがひっかかるのである。

単純な「運」の左右するだけのゲームなら、単純に勝った側が嬉しかろう。

だが、物事はそう単純ではない。
だから「運だけで勝ち負けがどうにでも転ぶ」というような種類のギャンブルに、人は熱中しない。
競馬でもパチンコでも、「何がしかの理屈」を読んで、そこに賭けることに我われは引き込まれやすいのである。
その証拠に宝くじ。
あれには「勝ち負け」はない。

単に私にも幸運を、というだけのおみくじである。

勝負の奥深さ


したがって単純なゲームなればこそ、勝者は敗者の嘆く顔を見て興奮するかもしれぬが、もっと高等な世界ではそうではない。

スポーツもそうだが、武道とか、芸術関係のコンペティションとか、囲碁将棋とか。

「勝ち負け」は重要な結果ではあるが、「そこに至るプロセス」がさらに重要なんである。
自らの力の限りを尽くし、信念で臨んだ舞台には、最早「勝ち負け」に執着するだけのプレイヤーはいない。
力の限りを出し尽くして両者が相まみえたあとには、勝者も敗者も、たがいに対する敬意はあれども「敗者の苦悩の表情」を自らの快感と感じる者はいないのではないか。
むしろ相手の敗着を喜んでいるようでは、まだまだ一流とは言えないと思うのである。


そう考えると、「勝負」のはっきりと着く競技でありながら、「敢えて勝ち負けに執着せぬ姿勢」を究極に持つことが、そんな勝負事の「道」の目指すところなのだとも思った。
ともかく、敗者の落胆を見て喜んでいるようでは、彼はまだまだ「その道の人」ではないだろう。
勝利への道、というのはなかなかに奥深いものである。

敗者の「がっかり」表情、勝者の脳の「喜び」に


「敗者」の悔しい表情を見た「勝者」の脳の反応を、放射線医学総合研究所千葉市)の研究チームがとらえることに初めて成功した。
脳の前頭葉と呼ばれる部位で通常より強い電気信号が現れ、自己愛(ナルシシズム)の強い人ほど反応が大きかったという。
神戸市で4日開かれた日本神経科学学会など3学会の合同大会「ニューロ2010」で報告された。


他人の幸福や不幸に対し、同じ気持ちを抱く心理状態が「共感」と呼ばれるのに対し、野球やサッカーなどの試合で勝者が敗者の悔しい表情を見て喜ぶ感情は「反共感」と呼ばれている。


研究チームは、反共感の際、実際に反応する脳の部位を確認するため、トランプで数の大きい方が勝ちとなる単純なゲームを実施。
敗者の悔しげな表情を見た勝者では、前頭葉の前部帯状回と呼ばれる部位に現れる「フィードバック関連陰性電位」という電気信号が、通常よりも強く脳波計で測定された。


被験者に自己愛度を測る心理テストも受けてもらったところ、自己愛の強い人ほど、この電位が高くなった。
一方、相手に同情しがちな人では、電位はあまり変わらなかった。
チームの山田真希子研究員は「自己愛性人格障害など様々な対人関係障害の病態理解につながる」と話している。
(2010年9月4日14時42分 読売新聞)