- 作者: 渡辺淳一
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2010/09/24
- メディア: ハードカバー
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渡辺淳一さんが「孤船」という本を書いた。
団塊の世代の老後がテーマだそうである。
会社中心できたモーレツ世代。
定年後は家庭に居場所なく、有り余る時間に押しつぶされ、孤独に苛まれる姿を描いた、という。
三十代、四十代と仕事をしていると、益々時間がなくなる。
一週間があっという間で、
一カ月もバタッと過ぎ、
年四回の季節の遷移をはっきりと確認することも稀になってきた。
五十代はそんな感覚にも拍車がかかるだろう。
激しいギャップ
そして、そんな「仕事人間」が定年後にはどのコミュニティにも馴染めず、「孤独にさいなまれる」という。
毎日が日曜日、なんて今考えると小躍りしてしまいそうだが、現実はそう一筋縄ではいかない、ということである。
それにしても悲しい。
「有り余る時間」に押しつぶされる、とはどういうことだろう。
少しでも時間がほしい、と思っている青年、壮年世代とのこのギャップは何か、としばし考える。
社会人時代には、あまりに仕事に偏重し過ぎ、その反動が来るのなら。
やはり高度成長期のツケなのだろうと思う。
いかに豊かになる、とはいえ「それ」しか見なかったらアンバランス、ということだろうか。
それは今の世代にはもう存在しない、「解消」されたことなのだろうか。
自分の老後はどうだろうか…
時間の使い方
時間を使う、という表現がある。
浅井慎平さんのコラムでは「時間の失い方」という表現があってとても印象的だった。
時間は「使う」という表現もできるのだろうけど、段々とその埋蔵量は減ってゆく。
最後はゼロになるのだが、その時間はまさに「使う」というより「消費」している。
今の将来にわたる手持ち時間は「失ってゆく」のだと思う。
(なんて感傷的で素敵な表現だろうか)
そんな失い方、を若い世代にも考えてもらい、また「上手な失い方」ができる先輩方は後世に伝授していかねばならないのではないか。
だってそのままでは「有り余る時間に押しつぶされる」までになるらしいのだから。