メディア広告費全体の顕著な落ち込みが報道され、インターネットの台頭が鮮明である。
もともと大メディアの広告費というのは「よくわからないマス価格」であるから、それが透明化してきたのだ、と説明する向きも多い。
確かに新聞の一面にどーんと広告を載せて、それが幾らくらいに相当するか、というのは物によっても違うし、一概には決まらないだろう。
それはともかく。
電子書籍も本格的に配信され始め、いよいよ紙・通信メディアの凋落を予感する声も多い。
新聞社は半分以上がなくなるだろう、などという報道もある。
だが、ネット時代の新聞社は存続できないだろうか。とふと思う。
泥臭い努力
最近は新聞の有料サイトもずい分増えてきた。
中でも一番うまいのはなんと朝日新聞だろう。
いろんな「周辺的なコラム、とか知識情報」を散りばめ、中でも「法律」とか「語学」など専門性の高い所にまず有料化のハードルを設定している。
有料記事を買う最低価格が500円だから、今までの新聞に比して高いわけではない。
だけど、これまで「一紙で文庫本一冊分」といわれる新聞の記事量には今のwebニュースでは遠く及ばない。
まず大手新聞サイトは、紙の紙面と同レベルのコンテンツをwebで自由に配信できるようにし、その中で「価格設定」を試みるとよいだろう。
今はコラムの書き手とか、批評、ニュースの入手にかかる「流通コスト」はかなり低い。
紙面の編集努力や、特集の工夫によって、これまで囁かれた「紙媒体の凋落」だけではなく、「より広い読者の取り込みと、コンテンツ配信のプラットフォーム」としての新聞社の役割はこれからではないだろうか。
どう考えても、文化系のインテリが揃って志望し、築き上げてきた「メディア」の中核が、ネットによる拡散でそのまま淘汰されてしまう、とは思いにくいのである。
商売としての「課金の苦労」はあるだろうが、オープンソースの時代には、またまた「メディアピープル(ジャーナリストたち)」の逆襲があるような気がするのである。
閾値を超えるまで。
その辺り、現在のマスメディアの盛衰がはっきりするのはいつか?
自分はそれが「来年」ではないかと思う。
「一定のコンテンツを有料で購入する」という概念がここ一年で急速に普及している。
(i-Tune amazonなどの影響だろう)
ネットで「対価を支払う」ということに抵抗がなくなってきた。
消費者は「慣れて」きている。
一方新聞にしても、これまでは二十数ページが「一律240円」だったものが、もっと細分化した自分の好みで記事をチョイスできるようになる。
自分の肌感では、ターゲットを絞った情報記事の購入は、現在の新聞の値段である4000〜4500円を近々超えるのではないかと思っている。
そうなると、新聞は無事「これまでの価格帯」を上回ることになり、さらに新聞ゆえの「ディレクション能力」の優位でこれまでの販売価格を上回るのではないか、という予感がする。
何のことはない、ネットの出現により、一時は脅威にさらされたが、結局その「知力」があれば「さらに支持される」ということが、幾分回り道をして表出するのではないかと思うのだ。
何も目先の販売部数を気にして「押し紙」などすることはなかったのではないだろうか。
インターネットはここ数年で「タダか有料か」のすみ分けをより鮮明にし、結果コンテンツの供給側も、ユーザーも「より納得感の高い」消費形態に移行するのではないかと思う。
この変化の潮流は、物販に先駆けて「情報提供分野」から始まるだろう。
ITの使いこみ、は2010年が元年なのかもしれない。