藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自然の中の医療


コラムの筆者は四万十川のほとりで診療所を営むベテラン医師。
医師は激務であり、精神的にも疲れる職業だ、と聞くがこんな文章に会うと「医師もいいものだなぁ」と思う。

たくさんの人とすれ違う。「おはようございます」の挨拶(あいさつ)が気持ちよい。川向こうからの鳥の声が重なって聞こえる。四万十の靄(もや)のなかで、赤鉄橋がうっすらとしか見えないときもある。

仕事と言うのは、実入りがいいか悪いか、とか社会的な地位がどう、とかラクかタフか、とかついついそんな「周辺の理由」を主にして見てしまいがちだけれど、本当に見るべきはその「社会性」が強いかどうか、そしてその「自分が強いと感じる社会性」にどれだけコミットしたいか、というのが本来一番重要であるべきだろう。

けれど、残念なことに本当にその職業が持つ社会性、を端的に知る方法はあまりない。


特に社会人を経験していない若者には、その職業のベテランのみが味わう「醍醐味」をなかなか見通せず、皮相的な「周辺事実」ばかりに目を奪われてしまう。
そして、また大抵の仕事は、じつはやり込むことことによって「天職」に出来るものなのだけれど、ついつい若いと「自分に会う会社」とかあるいはまたも「周辺事実」ばかりで計ってしまうのである。

 診察室の診療のほかに、訪問診療がある。これが楽しい。川に沿って走るときも、家の近くで車を止めて田畑の風景をしばらく眺めるときも、確かに四季を感じる。夜には満天の星に、思わず足が止まる。往診からの帰りの四万十川の夕焼けは、何度見ても涙が出そうになる。

こんな風に、肩の力を抜いて自分の仕事を紹介するのは、例えば筆者がどんな風に自分の職業観を持ち、どんなところがやりがいなのか、という一番の要所を説明してくれている。

「自然のなかのいのちと、ぼくはやりとりを続けている。」

頑張れ、次世代のお医者さん。

ぼくは「言葉」で抱きしめる医者
診療所の窓辺から、四万十川に架かる赤鉄橋がすぐそこに見える。少し上流に目を移すと、全長約一九〇キロメートルの四万十の流れが左から右に蛇行している。


 この四万十川のほとりの診療所で働き始めて、十年を超えた。その前の二十年は、高松赤十字病院でへとへとになりながら、何でもする内科医を続けていた。疲れたが、楽しい毎日だった。地方都市の最終病院で、いのちのぎりぎりでのやりとりにどっぷりつかった二十年だった。


 看護師さんたちと一緒にする仕事が好きで、当時は珍しかった訪問看護の付き添い役をしていた。ケアの視点を看護師さんたちに教えられた。そのころは医者は治療のみ、その他は看護にまる投げというのが多かった。


 患者さんや家族との距離が近くなり、たくさんのドラマを体験した。「人間って大変、人間ってすごい」と思いながら、救急医療から終末期まで、何でもやってきた。


 大病院の田舎医者を自称していたが、妻の父の診療所を手伝うために本当の田舎医者になったのが、十二年前。都市でも田舎でも、患者さんの期待するものは変わらない。このごろは、すっかりかかりつけ医のいい気持ちにはまってきた。


 朝、家の前の堤防を上流に向かって散歩する。空気がおいしい。診療所でどんなに動き回っても、一日二千歩にしかならない。三千歩を目標に、ケイタイの歩数計を見るのを楽しみにしながら歩く。


 たくさんの人とすれ違う。「おはようございます」の挨拶(あいさつ)が気持ちよい。川向こうからの鳥の声が重なって聞こえる。四万十の靄(もや)のなかで、赤鉄橋がうっすらとしか見えないときもある。


 ぼくの診療は、朝が早い。八時には、患者さんを診察室に呼んでいる。ここから、延々の外来診療が始まる。話を聴いて、話を返す。お年寄りのゆっくりした話に、決していらいらしない。会話のなかに笑いがあり、嘆きがあり、涙がある。「そうやねえ、それは大変やねえ」「それはよかった、よかった」、いのちを言葉で抱きしめるつもりでゆったり話をする。


 診察室の診療のほかに、訪問診療がある。これが楽しい。川に沿って走るときも、家の近くで車を止めて田畑の風景をしばらく眺めるときも、確かに四季を感じる。夜には満天の星に、思わず足が止まる。往診からの帰りの四万十川の夕焼けは、何度見ても涙が出そうになる。


 先日、肺炎で入院していた、一人暮らしの九十三歳の患者さんが無事退院した。やっと説得して、ぎりぎりの入院だった。「死んでくるかも」と、駆けつけた近所の人に冗談っぽく言いつつ、救急車に乗った。

 帰って来ての第一声。「先生。わたしは先生にほれた。死んだ主人は軍人で、こんな気持ちは人生で初めてのこと。先生、迷惑?」と言って、ぼくの手を握る。ぼくはたいていのことでは照れないが、妻の顔を思い浮かべつつ苦笑いするしかなかった。


 在宅のお年寄りは、気持ちが元気。介護する家族は大変。診察の終わったあとの庭で、介護の大変さを立ち話で聞くことも多い。


 自然のなかのいのちと、ぼくはやりとりを続けている。

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 高知・四万十川のほとりの診察室から、ぼくの毎日を皆様にお伝えしていきます。(朝日新聞発行の小冊子「スタイルアサヒ」2009年10月号掲載)