藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

「その時」の自分。


これまでも、交通事故とか、ケンカの現場とか、いわゆる「修羅場」には何度か直面したことはあったが、幸いに「大規模災害」などには遭わずにいた。
今日は客先を二時に訪問し、早々に打ち合わせを終えた途端、三田の高層ビル街で激しい地震
テレビでどこかで見たような、街頭が首を振っている。
それからの風景は、いわゆる「巨大な恐怖」を感じさせるものだった。


地面がスケートボードの上に乗ったように、不安定に動く。
文字通り足場のぐらついた途端、周囲の風景が一気に揺れた。
近くの雑居ビルが、そして大きなビルが、そして超高層ビルが揺れている。
中央三井銀行の本社に避難しようとしたら、そのガラス張りのビル全体が「しなって」いる。
ふと見れば、となりのNEC本社のロケットビルすら揺れている。
ボディに貼られたガラスが、まるで柔らかいセロファンのようにウェイブを描いているではないか。


巨大な建物が、何だか「柔らかな動き」をするということが、これほど総毛立つような恐怖を感じさせるものだとは知らなかった。
多分「あり得ないものを目の当たりにした恐怖」とはこういうものなのだ、と都会の中にいて経験した。


近隣の人がみな口々に「動けなかった」と呟いていたが、自然の脅威とはそうしたものなのだろう。
まるでテレビのスクープ番組を見ているような、リアル感のない、しかし体で感じる恐怖だった。


脅威のあとで。


その後も続く余震の中で、徒歩にて自宅に向かう。
日比谷通り、第一京浜、銀座、晴海通りなど、主要道路の周りは避難所で一杯。
おびただしい数のオフィスワーカーが避難している。
そして皆が「携帯電話」を駆使して情報を取ろうとする。
都内の通信網はあっという間に「不通」になった。


情報パニックで、いちど「通信不能」になった人は、それからも執拗に通信の再開を試み、ますます電話は通じなくなっていた。
ほどなく、公衆電話には長蛇の列ができ、街中のタクシーは空車がなくなり、そしてコンビニの食料棚からはパンや惣菜が消えていた。
まだ営業している飲食店もあり、別に「食料パニック」になったのではないのに、「飢餓の恐怖」からおにぎりの買い占めに走る人が多くいたのには驚いた。


目の当たりにパニック現象を見たのは、これが初めてであった。
また情報が限られた中では、余程の冷静な心理状態を心がけぬと、周囲の心理は一気に扇動され、それこそ「津波のように押し寄せるものだ」ということにも非常に驚いたのである。


本当のgentle性というのはこういうところで試されるのだろう。
千年に一度の地震、とも言われているが、都心の被害は「直撃」を受けるのに比べれば、まだ比較的軽傷だったと思う。


首都圏直撃、しかも今回とは違う「直下型」がもし襲ったらと思うと、その恐ろしさは計り知れない。
「いざ」への心構えをしておきたいものである。