藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

今だからこそ。

豪州のクライストチャーチで、またも大きめの地震との報道。
今年の大震災の前にも豪州で大きな地震が起き、そんな報道の余韻の後、日本のプレートが直撃を受けた。
その後、様々な報道から、「元々日本はプレート境界の大交差点」とか「これから三十年でさらに大地震」とか「これから十年で、さらに南で大地震」とか「首都圏を襲う直下型地震」など、もう憶測なのか予測なのか分からない話が飛び交っている。

現実的なのは、被害が起きた後の環境被害としての原発や、また復興へ向けた「行政手続きの難しさ」といった実に実務的な問題が浮き彫りになり、被災地を中心とした直近の問題が、なかなか解決には向かわないということである。
既存のルールや、対応チームというのは、こと「想定外」と言われる事態については、実に無力である。

この度の震災の影響から得た貴重な経験も、最近は「東北地方の低地」で起きた現象であり、それを東京とか、関西とか、四国、九州で個別にシミュレーションするという話もあまり聞かない。
唯一、東京が被災した場合の「首都機能の喪失」とか「集積しすぎた住民のライフライン」のような話が時折議論されるばかりである。

もし、日本の一部がまた大被害に遭い、被災した場合に、国や地方自治はどうあるべきか。
どこまでの援助を、どれほどの法律を発動し、国レベルで一致団結してコトに当たれるのか。

そんな"国家総動員法"的な、危機管理についての日本国民の総意、を促すような政治と立法が必要なのではないかと思う。
それがあれば、「自分の住む下のプレートがいつ割れるのか」という杞憂も、「いざとなったら国が総力を挙げてくれる」という安心に変えられる。

そういう意味では、こと被災については日本は大先進国であり、また"大きな村意識"を作らねばならないと思う。

我われは、地政学的にも、また民族的に間も"そういう文化を持つものである"ということを広くアピールしてはどうだろうか。
これこそ大和民族の矜持ではないかと思うのだが。

NZで強い地震 クライストチャーチ付近、停電・液状化
ニュージーランド南島クライストチャーチ付近で23日午後1時58分(日本時間午前9時58分)ごろ、マグニチュード(M)5.8の強い地震があった。

 現地ではその後も断続的に強い揺れがあった。警察当局などによると、死者や重傷者、ビルの倒壊は報告されていないが、クライストチャーチ市内の一部で停電や液状化の被害が出たほか、空港も一時閉鎖された。

 米地質調査所(USGS)によると、最初の地震震源クライストチャーチ東北東約26キロ。深さは4.7キロ。約1時間20分後にもM5.9の地震が起きた。クライストチャーチでは今年2月末にも大地震があり、ビルが倒壊するなどで日本人留学生ら計180人余りが犠牲となった。(シンガポール=塚本和人)