藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

プレッシャーの要る人、要らぬ人。

以前、挫折のことを書いていたことがある。
人は是切を経験せずには成長し続けられないのではないか、というような主旨だったがそんな類の話題。
プレッシャーについて。

例えば人前で話す機会を与えられる、とそれは緊張を呼び、プレッシャーを生ずる。
毎月の成績を達成せんがための日々の営業もプレッシャーを伴うだろう。
入試も入社試験もプレッシャーが大きい。
異性との付き合いや結婚などを「プレッシャーそのもの」と捉える人は少ないかもしれないが(実はえらいプレッシャーのはずだけど)、そんな圧力もあるだろう。

つまり、我われは"挫折"と挫折せぬためのプレッシャー、いや"成功のためのプレッシャー"というべきものに動かされている。
プレッシャーを感ずれば、人は考え、動く。

なので、ちょっと逆説的だけれど"挫折"こそが成長に不可欠な要素なのだ。
という結論になる。

これはこれで正しい。

けれど、一方それでは所詮"外圧"なのである。

したがってぇ、どうするか。

外圧をも取り込むこと。

挫折、をバネにプレッシャーを感じ、自らを追い込んで成長を促す。
ともすればそんな「外からのプレッシャー」とも見える成長のサイクルを「完全に自分のものにする」ということを考える。


結局はその「外圧」を"外部からのもの"ではなく「内部のもの」にしてしまう。
(その時点で外圧じゃなく内圧、になるけど)
日本の武道、にはその精神が著しく根付いているようで、対手もおらず「タダ一人黙々と修行する」あの姿にこそ成長の真骨頂はあるのだと思う。

「学び」の最高の動機は、「自らの研鑽と成長」にあり、もはや外部にはない。

そう思ってみると、武道家のみならず優れたアスリートとか、一流の研究者などそういうエッセンスを体得している人は幾らもいるものだ。
気付かぬは自分ばかりなり。


学生時代にこんなことに気づきたかったものだと思う。
まあこれからか。