藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

リセットする力。

直截な表現だが「正しいことが行われているかどうか」というようなことを、不意に感ずることがある。
それは「正しいぞ」という方向のこともあるし、「よくないな」ということもある。

よくないな、と感じるのは何かその場の空気が邪悪な方向とか、まあ邪悪ではないにしてもエゴイスティックな雰囲気であまりバランスの取れた議論になっていないな、などと思った時である。

正しいな、という雰囲気は、場の雰囲気は前向きなことが多く、新しいアイデアが出てそれについてどんどん良い工夫が複数の人から寄せられている、というような時に感じることが多い。
話が逸れた。

どうせやるなら。

仕事とか勉強とか、遊びとか。
日常のそんな場面で"いやいやながら●●する"というシーンはないだろうか。
社会人になり、仕事ともなると「好き嫌いの表明」そのものがNGルール、ということもあってあまり目立たないかもしれない。

では、いやいや、ではなく「まあ惰性で」というカテゴリを含めるとどうだろうか。

「どうせ力」とは、この"大して力の入らない日常"に対して効果を発揮する。

会議で議事録を各担当になった。
クレームの多い顧客の担当になった。
大量の書類のコピーを依頼されている。
消極的なチームのリーダーを任された。
未経験の業界へ向けたプレゼンを依頼された、とか。

あるいは

友人から仲裁ごとを頼まれた。
出さねばならないレポートの期限が迫っている。とか
これから"気乗りしない科目"の勉強をしなければならない、とか。

「あーあぁ〜。やる気しねーなー」というような時。
意識して、"一気に"マインドを変えるのである。

それも極端なくらいに。

その能力は「どうせ力」である。
どうせやるなら"全力"を傾けるのだ。
(その一)