藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

分かっているけど出来ないこと。

スティーブ・ジョブズは、その晩年の講演の中で「もし今日で命が亡くなるのなら、何をするか? を考えよ」と若者に語っています。
一度は悪性腫瘍でリアルな死を意識したからこその言葉でしょう。

最も難しいこと。

7つの習慣」でも取り上げられている"優先順位"。

初めてこの書に出会ってもう二十年以上が経つけれど、実生活に照らして「最も難しいこと」がこれかもしれないと思っている。


「今日は恐らく急に死ぬことはないだろう」と「言外に感じている自分」は、"(病などで)本当に持ち時間が有限になった場合"でないと、実はそうした「人生の優先順位」について考えることを止め、あるいは逃避してしまうのだろうと思う。

なぜなら、まだ生きており、「まだこれからも生きていたい自分」について、その存在について「絶対的な期限」を設定し、その"自分が無くなる前提"での想定プランを、色々と思いめぐらさねばならないのである。

一種の自己否定というか、「自己喪失」を前提として考えを進めていかねばならないところに、人生の時間の使い方の難しさがあると思う。
今生きている状態にして、「その後」をリアルに悟ろうとする、そこには若干も宗教的ですらある「乗り越えねばならない壁」すら感じるのである。

よほど自信がなければ、自己否定はしにくいものだろう。
けれど「それ」を考え、考え続け、「見過ごす」ことなく自分なりの答えを出している人が、「真の向かうべき
対象」に気づくことができるのだと思う。

受験とか、就職とか、起業とか、自分たちは年をとるごとに様々な「イベント」とか「潮流」の中で生きてゆく。
それは周囲と自分自身の中で「価値観の揺さぶり」にされされることである。
けれど、多くの場合「周囲の価値観のトレンド」に常に流され、追いかけた後に「自分なりの幸せ」はなかなか見出せないようである。
周囲の価値観とか、流行りとか、志向というものは、移ろいゆく。
ある程度「周囲の価値観や常識」をも気にせず、「自分自身のメジャーで進むためのコンパス」が必要な時代ではないだろうか。

政治の力とか、経済の流れとか、そういう「大きな周囲」の環境ありきで自分の人生が翻弄される、という時代が終わりつつあるのだとしたら、実に成熟しつつある「次世代」は確実にやってきているのかもしれないと思うのである。

物質文明だけが人の進化の指標ではない時代がきっと来るだろう。