藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

昭和の呪縛(1)

*[次の世代に]

自分と親世代、自分と子供世代で明らかに違うのは「人生の価値観」だろう。

昭和初期の「戦前派」は大戦の悲惨さを身をもって知っているし、復興の狼煙を上げていた世代だから「成長崇拝」の傾向がとても強い。

それこそ国を挙げて一丸となり、「成長こそが目的」と迷いなく走れた時代だ。

だって「所得倍増計画」なんてちょっと品がなく聞こえませんか。

 

でその子供たちの時代は「戦後派」と呼ばれ、戦争を知らない子供達が、上の世代に反発し、本当に「繁栄」とか「経済成長」だけでいいのか? と言い始めた。

それでも昭和の64年間は「成長こそ」という考えが主流だったと思う。

 

そして混迷の、失われた「平成の30年」を過ぎて、特に若い世代の価値観は全く変わったようだ。

昭和の時代の「所有する」「稼ぐ」という指標が説得力を失ったのである。

むしろもっと自由に。

「持たない」「(余計な人間関係を)背負わない」方が今の若者には人気だ。

さらにやりたいことは「今の大人の意見を参考にせずに考えてみる」と彼らは意思表示しているように見える。

今の大人がだらしないということではなく、「イケてない」ということだろう。

そしてこうした「世代間のギャップ」はいつの時代にもあってきたことだ。

 

今の(高齢者を含めた)「大人たち」はゆめゆめ、若い世代に自分たちの価値観を押し付けないことがせめてできることではないだろうか。

「早く仕事につけ」「早く結婚せよ」「家を買いなさい」などという言葉は彼らにはただうるさいだけ。

"老婆心"は、もうしまっておく時代になっているのではないだろうか。