藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

本当のリーダー。

諺とか寓話には、実に教育的なものも多い。
それが物語風に語られることによって、よりリアルに自分の中に浸透してくるのである。
ダモクレスの剣、と言う話がある。
幼い時に聞いて、もう40年以上忘れていないから、大した印象の大きさだと感心する。
大国の王たるダモクレスは、臣下には「統治に何も苦労していない」と思われているが、実はその鎮座する椅子の真上には細い糸で吊るされた鋭利な剣が、常に命と引き換えに存在している、という話である。
そんな寓話は、まったく古びもせず、まったくそのまま今の時代にも当てはまる。
人はそうした「緊張」なしにはユルんでしまうという宿命を持っているのだろう。
今改めて、自分にとってのダモクレスの剣は何か、ということを考えなおすとは思わなかった47歳。

大丈夫か、俺。
求道。自分の道。
そうした観点で言うと、「道」のつく習い事はそうした「ユルさ」を許さない。
常に一定の緊張と、日常的な「稽古」を要求するようにできている。
そうした稽古は、通常毎日、そしてそれは一生続くものである。
日本文化の良さはそうした「求道」の道が数多く編み出されていることではないか。
茶道、書道、柔道、剣道、合気道、華道、弓道…追求したければ「道」は幾らもある。
あまり耳慣れないが「経営道」というものがあるなら、やはり日本人のマインドはそれに近いのではないかと思う。


それはアメリカ的な「ビジネスケーススタディ」を通してハウツーを絞り出すものではなく、多分に精神的であり、常に経営者に内省を促すような「求道的」なものだろう。
相変わらず金融危機とか、国家の債務の話題が喧(かまびす)しいが、もうそろそろそうした話題から卒業し、また解決を「政治」ばかりに求めるのは止めにして、自分の道を追求するという「日本人の十八番(おはこ)」を選択してはどうだろうか。


いつまで経っても終わらない、終生の修行の道ではあるが、実はそれを追うことが自分たちの精神にも「最もよい修養」をもたらすのではないかと思う。


そう思ったら世間のニュースも"せん無い"ことに思えてくるのである。
浅慮な人たちが、にわかに考えた内容に深みがないのはむしろ当然。
じっくり煮詰めるのは、自分たちの仕事なのである。