藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

成仏の条件。

yomiuri onlineの記事によると、医師によるアンケートでは、"亡くなった人たちの四割"がすでに死亡した「過去の人たちや風景の存在」を感じていた、という。(なぜか「自宅でみとられた人」という対象で、またエリアは宮城県福島県ということだが)

自分はこれまで臨死体験をしたことはないが、恐らくその実体は、夢を見るように「臨終に際してその人の最も重要な記憶、安寧な記憶」が思い出されてのことだろうと思う。

自分たちにしても、リアルな夢を見て汗をかいたり、目覚めて「はて夢か現(うつつ)か」ということはまま経験することである。
とくに悪夢については、「現実でショックを受けた事実」がそのまま夢に出てきたりするものである。

フロイト夢分析ではないが、死の直前、あるいは命にかかわる重大な事故の瞬間に、自分の過去がフラッシュバックしてみ見えた、ということはよくあるという話。

脳内の処理はそれこそ「電気信号的処理」であるから、ほんの短い一瞬にでも流れる情報量は莫大なものがあるのだろう。
例えば、それの「軽いケース」は、我われが日常で何か"重大なショック"を知らされた時に、色々な場面が一瞬に頭に浮かぶ、という感覚に似ているのではないかと思う。

できることなら、心残りや恨みごとではなく、これまでの関係者に手を合わせながら往けるような、そんな最期でありたいと思う。

死亡前、鬼籍の親・仏ら「お迎え」…4割が体験
 自宅でみとられた患者の約4割が、亡くなる前、すでにいない親の姿を見たと語るなど、いわゆる「お迎え」体験を持ち、それが穏やかなみとりにつながっているとの調査研究を、宮城県などで在宅医療を行っている医師らのグループがまとめた。

 在宅診療を行う医師や大学研究者らが2011年、宮城県5か所と福島県1か所の診療所による訪問診療などで家族をみとった遺族1191人にアンケートした。
 「患者が、他人には見えない人の存在や風景について語った。あるいは、見えている、聞こえている、感じているようだった」かを尋ねた。回答者541人のうち、226人(42%)が「経験した」と答えた。
 患者が見聞きしたと語った内容は、親など「すでに死去していた人物」(51%)が最も多かった。その場にいないはずの人や仏、光などの答えもあった。
 「お迎え」を体験した後、患者は死に対する不安が和らぐように見える場合が多く、本人にとって「良かった」との肯定的評価が47%と、否定的評価19%を上回った。
 調査は、文部科学省の研究助成金を得て実施。「お迎え」体験は経験的にはよく語られるが、学術的な報告はきわめて珍しい。
(2012年6月21日15時57分 読売新聞)