藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

学校の校則とか。
親に言われた門限とか。
そんなのは、まあ気にはなっても所詮「他人が決めたこと」である。
自分の良心に照らしても、そんなに後ろめたいことはない。
決めるのは自分なのだ。
でさらに。

あえて、自分で定めた規則を破る。
というのはちょっと勇気がいる。
なにせ、そのルールを制定したのは、他人さまの関与せぬ全くの自分であるから、「それを破る」ということは自己否定につながる。
自己否定は、結局は自分の価値観とか、プライドとか、そういうものとつながっているから、あまり軽んじて扱うと、自分自身がスカスカになってしまう恐れがある。

自分で決めたルールを、何事もなかったかのように無視し、結果何も積み上がらない人というのは、"自分で自分を軽んじている"ということに他ならない。

と、少なくともそう思っていないと、自分で決めたルールなど、いとも簡単にブレイクしてしまう、というそんな自己矛盾とも戦っている今日この頃。
甘いケーキも深夜のラーメンも、全ては自分の人格の保持につながっているのである。(と思っている)


そんなことを考えながら。
最近、自らに禁じてきた、炭水化物とか、日本酒とか、果物とか、そんなものを少し許すようになってきた。
何か、ストイックになるだけが自分のスタイルでもないだろう、という気がしてきたのだ。

余生がどう、とか信条がどう、とかいうよりも漠然としているが「これからどう生きてゆくかなあ」というような切実な感覚の方が強い。
自分の寿命とか、
世の中の状況とか、
自然環境のこととか、
仕事のこととか、
家族のこととか、
友人のこととか、

そんな、「直接自分に触れ合う幾つかの次元のこと」について、自分なりに考える。
そうして、そんなことを考えるとき、後ろに音楽が流れている。
音楽があるかどうか、で思考の流れがずい分違うのである。

刹那的に、悲観的にどんどん傾きそうな時間が、レイ・チャールズのボーカルでふと、風向きが変わったり。
やっぱり音楽は素晴らしい。
話が逸れてしまった。