藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

"次元"を感じる力をつける

世の中の"世相"を最も映し出しているもの。
それは常に「現場」であると思う。

数ある経営指南の理論にも「現場主義」を説くものは多い。
当たり前ではあるが、現場の様子やモノ作りの実際を見ずして、理論でなにか「リアル」を語ろうと言うのは無理があるのである。

「点」を追う狩人

そして、自分も社会人になって以来、「狩りの現場」にいる。
辣腕なハンターではないけれど、それでも日々"獲物に出会うこと"を求めてきた。
そんな自分の過去を見て、かなり「点のハンター」だと思う。
点のハンターとは、文字通り、「ある一点」を狙い、弓や槍や銃を構え、「獲物を得る」ことを生業とするのである。
営業の基本はこれであろう。

だが、「腕が立つかどうか」ということが、いわゆる一匹オオカミの狩人には死活問題である。

腕が悪ければ飢え死ぬ。

それが「点のハンター」である。

点からの進化

数学では「点」とは面積を持たないある場所、を指す。
点はそれ自身では大きさを持たない。

点が連なったものを「線」という。
これは、やはり面積は持たないが「点の集積」である。
点が連なって何処までも連続しているものを「線分」という。
線もこれまた「面積」は持たないものの「長さ」というものを持つ。

点がほぼ「そこ」以外では無の存在だったことに対し、線は「長さ」という絶対的な単位を持つ。

線は、ある境界を示したり、円や多角形を象(かたど)ったりという「描く力」を持っているのである。

線が「ある閉じられた境界」を描くと、その内部は「面」となる。
「囲われた空間」である。
そして、線は面を作ることができる。
「面」は、線の集合の結果であるが、「点」からみれば無限の存在である。
「点」では実現できなかった「面」という次元が「集積」によって可能になっている。

点が線を可能にし、線は面を可能にした。

そして、面は二次元である。
二次元の面は、「面と面」を組み合わせることにより、「体(solid)」を作る。
それは「球」であり、「立方体」であり「多面体」である。
面は多面体の構成をつかさどり、四面体から数十面体、果ては球体までを作り出す。

点は線を作り、線は面を作る。
そして面は立体を作る。

こうした自然科学の摂理が、人の生活にも当てはまる。
「点」の活動。
「線」の活動。
「面」の活動。
面が重なった「立体」としての活動。
そんな現象を夢想する。

自分ひとりでの活動は、所詮「点」でしかない。
どれほど鋭く、どれほど性格であっても「点」なのである。
それは否定されるものではないが、「線」とか「面」とか「球」と比べれば、もう質が違う存在であることは疑いがない。

次元を超えて

これは組織論にも似ている。
個人商店と、グループ活動と、コミュニティと、企業。
そんな対比と相似なのかもしれない。
ただ組織や企業の運営論となると、百家争論。
未だ決着を見ていない。

そんな企業経営論ではなく、「点と面、そして立体」を考える視点を若い人には持ってもらいたいと思うのである。
企業の経営論はこれからも進化し、いろんな説が出てくるだろうと思う。
それはそれで考えてゆけばいい。

大事なのは「点が立体」にまで集積してゆく「繫がった力の存在」を感じてもらうことである。
今はただ「点」としか思えない自分の存在や行動が、いつしか短かな「線」になり、それに気づけば線が「面」にもなる。

そんな「集積の現象」を学んでおけば、将来どんな方向に向いていくにせよ、その分野での「勘」が備わるのではないかと思うのである。
人生「どんな方向に向くか」というのは風が吹くように、ある種気まぐれなものだろう。

で、そんな「風が吹いた時」に、どんな風に流れてゆくのか。
そんなときに働く「勘」とか「センス」をぜひ磨いて行くべきではないだろうか。
確定的な正解などない時代に、大事な感性だと思うのである。