藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

じーっと考える力。

最近「物事の二面性」ということをよく考える。
と思い返せば、頻繁にそんなことを思うようになったのはここ「十年くらい」のようだ。

自分の考えが落ち着いて、そしてステレオタイプの傾向が強くなったからなのか。
それとも客観性が備わってきたのだろうか。
あるいは自信がなくなってきたのかは分からないが、契機になったのは古代ローマを舞台にした芝居を見ていた時だった。

主人公が進軍か撤退かを決める時「そうかもしれぬ。しかし、そうでないかもしれぬ。」と深く逡巡している場面が非常に印象的で心に焼きついたのである。

自分の身近に何か問題が起こった時、どんな対処法があるだろうか。
・真っ向から立ち向かう
・時間をおく
・退避もしくは無視する
・人に頼む
・別の力学での対策を考える
など、色んな対処法が考えられる。
さらに時間をかけ、考えれば考えるほど選択肢も増えてくる。

じーっと考えていると、まるで無限に変数の増える多次元方程式を解いているような気分になる。

そんな状態を「目先の見えない不安な状態」と思うか。あるいは
「いかようにも挑戦しうる面白い状態」と思うか。

そんなことも心構え一つでしかない。
人の生存の本能はもとより、そのようなものなのかもしれないが、実に嫌なことでも「じーっ・・・」と考えていれば段々と落ち着いてきて、また対策も色々と思い浮かんでくる様子は不思議なものであると思う。

そして、そうした経験が何度も何度も積み重なると、だんだんと覚悟ができてくる。
でもこの覚悟が、別の角度からみれば「固定観念」にもなっていたり、また別の角度からは「自信」になっていたりもする。(ややこしや)

だから、時には「これしかない」という自分の常識も「そうでないかもしれぬ」とあえて斜めから見て見なければならない。

じつに面倒だが、思考というのはそういうプロセスの集積なのではないだろうか。