藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

一定割合のエラーについて−その二


世の中に起きる事件についても。
よく交通社会(主に車のこと)を放置することは、年間100万人の被害者の発生の容認である。などという。
車文明、を利用するなら、被害を最小限にするためにどんどん生産を制限する、というのではなく、保険などを整備して「むしろ利用促進」を図る。
そんなことになる。


談合とか違法献金、とか収賄とかも。
どうしても一定割合で事件は起きる。


翻って、自分の人生でもそうである。
一定の割合で挫折し、一定の割合で間違いを起こしてきた。

けれど、その時々の選択やチャレンジに臨むその瞬間、自分たちは「一定割合のエラー」のことを考えない。

(もちろん「失敗するかも」なんて初めから考えていては、成功は覚束ない、ということはあるけれど。)


物事をうまくこなすには、一定割合、ダメになる可能性を「予め織り込む」ことが大人、ということのようである。


で何の話だったか、というと事件とか事故の報道を見ていて、いちいち「またか」と驚いてばかりいたが、それはあまりに皮相的。
それらの事件を一直線上でつなぎ合わせてみて、その奥にある定性的なものを洞察しないとな、と思ったこと。


連想ゲームの秘密


連想ゲーム(先日会社の若い子に聞いたら全く知らなかった。でも底抜け脱線ゲームは知っているとのこと。なぜだろう)が成り立っていたのは、紙に書き留めず「口頭で」正解に関連のある単語をつぎつぎに回答者に与えるからであった。
しかも一度間違えると回答権は敵方の人に移る。
試しにこれを紙にメモしてみると、大体のの問題は労なく解けてしまい、ゲームにならないのであった。


葉巻

中古車

トレンチコート

メモ

殺人課





刑事コロンボ!


みたいな感じ。


面を見る工夫


で、何が言いたいか、というと。

例えば、毎日のニュースで報道される事件は「点」。
その事件を集めてみて「線」。
複数の線を集めて面を見る。
面からさらに「立体」が浮き上がって見えれば大したものである。


世の中が立体的に見えている。


自分は日々のニュースを集めてブログに上げたりしているが、なかなか面までは見えてこない。
点と点をつなぎ「線」にするくらいで、景気がどうだとか、風俗がどうだとか、くらいは視野に入るのだが、さらにその深部では何が起きているのか、ということを見据える力はまだまだ足りない。

そして特に自分のこれまで、とかこれから、についてもこの「線」以上の思考は働きにくい。

ブログでそんなものが目に見えるように残っていけばいいかな、とも期待したが、自分のブログをそれこそ一直線に分析するツールはあまりなく、これまでの軌跡がスッキリと一覧できる、という感じではない。


結局、自分のことは一番分かりにくいようである。
まだまだ試練は続く。