藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

女性手帳の前に。

少子化危機、という言葉がもう一般化しているとは知らなかった。
少子化対策の「特命担当相」はもう2001年から任命されているそうである。
もう歴代14人に上るとか。

それにしても「少子化対策」という言葉がこれほど一般的に、いや公用語化しているとは知らなかった。
いつも「その類の言葉」を聞いて違和感を持っていたのである。
少子化対策ということは、つまり「多産化せよ」ということである。
誰が「国としての多産化」を決めたのか。
自分は寡聞にして知らない。

明治以降の「富国強兵」「産めよ増やせよ」(何とアナクロなキャッチだろうか)についても大した政治家の決議はなかったと思うが、それにしても国として「少子化」がいけないことならば「多産化政策」を採ればよい。

もう、出産費用から、シングル婚の税制から、また育児費用から保育費、教育費、子供との交際費まで、どんどん無償化をすれば「出生率」は上がるに違いない。
今は女性中心だが、男性単独でも子供を持てるような推進策を採ればさらに子供の数は増えるだろう。

だが、「少子化が悪く、人口増こそ善」とだれが断じたのか。
ただ「年金破たん、世代間扶養のしくみが破たんするから」という理由だけで子供を増やそうという、短絡な志向には改めて驚く。

経済成長とか、雇用の減少とか、そして年金とか国家税収とか、そうしたことに対しての見解を持たずして人口政策とか、国の政策は立て得ない。
「自分たちの年金が心配だから、もっと子供を育てよう」という発想に誰が賛成しているのか。
さらに「人口は際限なく増え続けるべきなのか」という命題もすぐそのあとに待っている。

ともかく少子化対策、女性の育児環境の整備、という施策を「散発的」に乱発しても、あまり子供も増えず、また各種の規制だらけで企業の成長力も阻害するに違いない。

日本が、日本国内の「最適人口」をどう考えるか。
それはどのような未来の青写真や、仮説に基づくものなのか。
世代間扶養をはじめとする、いまの日本の経済的な社会保障の問題を、新しくどう構築するか。

そうした「戦略」ありきの戦術でしかない。
いたずらに「なぜなのか」ということも全く分からず「少子化防止すべし」といって動く今の政治家たちには気持の悪い「既得権益根性」が見えてしかたないのである。

まず日本が自国の人口について、どのような見解を出してゆくのか、ということから始めねばならない。
またそうした考えるアプローチが、将来の国のイメージをはっきりさせ、それがはっきりすればこそ、安心して子育てもしようという気になるのではないだろうか。

どうも識者が集ってのこうした議論には驚き、呆れるばかり。
人口増加とか、経済成長とか、インフレとか、重要なテーマについては、わかりやすいサンプルを作り、広く国民の信をとうという政が不可欠だろう。

非難ごうごうの女性手帳への私見
 先週末は札幌で日本産科婦人科学会の学術集会があり、娘を置いて参加してきました。学会と北海道の両方を満喫してパワーを使い果たして帰ってきました。娘はお利口に家で待っており、私が帰って来たら飛びついて来ました。とてもかわいいです。

 今月になってインターネット上で大きな話題となっている女性手帳について私も一言意見を述べてみたいと思います。
 発端となった報道は、「内閣府の『少子化危機突破タスクフォース』(議長・森雅子少子化担当相)は(中略)早い段階からの「女性手帳」の導入が効果的とする見解を近く取りまとめる。(中略)女性手帳では、30歳半ばまでの妊娠・出産を推奨し、結婚や出産を人生設計の中に組み込む重要性を指摘する。ただ、個人の選択もあるため、啓発レベルにとどめる。(5月5日産經新聞)」というようなもので、当然のことながら「人生観を押し付けるな」「そんな予算があったら子育て支援に回せ」という意見が噴出しました。
 続報では「今回の議論に対しては、ネット上などで『妊娠や出産の選択に国が口を出すことになるのでは』といった心配の声も出ている。これに対し、内閣府は『個人の生き方に介入する形にならないようにしなければならない。正しい情報がある中で、それぞれが選択できる環境を整えたい』と説明する。(5月8日朝日新聞)」と、人生観の押しつけではないという釈明が内閣府から出ています。
3つの私見 これに対して私の考えは次の3つです。

一つ目は、知識を啓発するならば、現在の学校教育の保健体育や性教育を充実させるのが先だし、それ以上の効果が手帳配布にあるとは思えません。日本では、先進諸国に比べてピルを含めた避妊法、性交渉などについての学校教育が非常にお粗末であり、それは小泉政権など今までの行政の影響も大きかったのですから、あたかも新しいアイデアであるかのように手帳配布を発案する前に、今までの学校教育を反省し、人間の体の仕組みや年齢限界を含めた生殖能力のこと、セックスやセクシャルマイノリティのこと、出産が命がけであることなど盛り込んで保健体育と性教育を充実させるのが先だと思います。

二つ目は、育休3年に続いての女性手帳発案で、「妊娠・出産・子育ては女性の責任に帰結する」という価値観を安倍政権が持っていることを確信し、暗たんたる気持ちになりました。妊娠は相手がないと出来ませんし、子育てには父親も関わるべきで母親を孤立させてはいけないことは今までに散々述べて来た通りです。女性だけを教育しようというのは80年代に逆戻りした発想で、失笑するしかありません(当時は初潮や月経の仕組みについて女子だけに教えられていました)。その後、政府は批判を受けて、男性にも手帳を配布するという軌道修正を図ったようですが、当然、男性にも知識の啓蒙は必要ですし、啓蒙と同時に、若者が結婚して子どもを持ちたくなる社会作りにも力を入れて欲しいです。

三つ目は、「危機突破内閣」というならば、10代の教育を「骨太」の政策などと悠長なことを言わず、人口の最後のボリュームゾーンである団塊ジュニアとその少し下の世代がこの1〜2年で産もうと思える少子化対策を打ち出して欲しいです。
「30代で妊娠できる人生設計を」 批判が噴出する女性手帳ですが、「個人として子どもが欲しいならば30代で妊娠できる人生設計を」というところには同意します。よく「高齢出産を選択するという多様性も認めるべきだ」という意見がありますが、多様性を認める認めないの問題ではなく、30代後半で子作りを始めた時点で妊娠出来る能力は減退して来ているので、子どもを望む人が最終的に授かることができないかも知れないという視点が抜け落ちているように思います。 

もちろんそれも込みで高齢出産の年齢になってから子作りするのは個人の自由で非難されるべきものではありませんが、子どもを望んだ人に出来るだけ子どもを持って欲しいと考えるならば、生殖能力が衰えないうちの子作りを勧めるのは価値観の押しつけや多様性の排除ではないと考えます。高齢出産の最大のハードルは妊娠と流産だということは若い人にもっと知られてもいいと思います。

最後に、女性手帳の印刷をどこが請け負うのか、一体いくらのお金がどこへ流れるのか、それも気になります。「男性にも手帳を」という批判が本当に実ったら、一番喜ぶのは誰なんでしょうか・・・。