藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

得たものと変わらなかったもの。

二十世紀のアメリカが作り出したものは、自動車産業デトロイトではなくITベンチャーシリコンバレーなのかもしれない。
いま自動車産業が斜陽だからというのではなく、自動車産業は"その後につながる仕組み"を作り出せなかったからである。
果実は大きく、二十世紀の最大の産業だったけれども、「固有のメーカーがものを作り続ける」という性質は今でも変わっていない。

IT産業もネットの普及期だったここ二十年はマイクロソフトを始め、ハードもソフトも「メーカー優位」が続いてきたが、ついにここ数年で「コンテンツありき」が鮮明になってきた。
そうして、そんな時代に「シリコンバレーの仕組み」ともいうべき「若者がアイデアとソフトウェア」を種にして、その発想を市場に問い、「そんなチャレンジを応援する投資家との世界」が出来上がってきたのである。

むしろ、シリコンバレーがさらに発展するのはこれからで、今以上に「腕試し」とか「夢を追う」ということが実現する、真のアメリカンドリームを体現する場所になるのではないだろうか。

世界への登竜門であり、まず野心があるのなら「シリコンバレーへ行け」という時代にいよいよ突入していくのだろう。
また逆に「場所が用意されている」のなら、そこにチャレンジするだけのアイデアも自分たちが独自で考えなければならない、という風に若者にも認識されてくるだろう。

シリコンバレー方式が、今後の技術発展のお手本になるのかどうか、ここ十年ほどではっきりとして来るのではないかと思う。
自分もまだ諦めずに「何を投げかけることができるのか」を考えていたいと思うのである。

ITの都が失ったもの・変わらないもの
シリコンバレー支局 岡田信行2013/9/20 7:00ニュースソース日本経済新聞 電子版

10月5日が近づいてきた。2年前、アップルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が56歳で死去した日だ。自宅のガレージで親友と起業し、一度は追放されながら復帰、アップルを世界有数の企業に育て上げた。ジョブズ氏の死後、アップルは収益拡大の勢いが鈍化。株価も低迷し、輝きが鈍った印象を受ける。アップルだけではない。シリコンバレーそのものも変質したとささやかれる。何が変わり、変わっていないのか。
パロアルト市の閑静な住宅街にあるジョブズ

一番変わったのは「価格」だろう。人件費、企業価値、授業料……。シリコンバレーにIT業界とそれに関連するヒト、モノ、カネが集まりあらゆるものの値段が高くなった。なかでも、オフィスや住宅の取得価格や家賃の上昇は著しい。

たとえば、アップル創業のガレージがあるカリフォルニア州ロスアルトス市。寝室が3部屋ある米国でよくある家族向けの平屋の一軒家の月家賃は10年前には2500ドル(約25万円)から3000ドルだったが、いまは安くても4000ドル。10年で1000ドル以上、上昇した。購入ならば、築50年の家でも100万ドルは下らない。

ジョブズ氏が起業した30年以上前は、ロスアルトス市は果樹園が広がるのどかな田舎町で、ジョブズ氏の父親は普通の労働者だった。ロスアルトスで育ったという60歳代の白人女性は「昔は普通の人が家を買える町だったのに」と振り返る。

普通の人が生活を営みながら、しかし、数多くの企業を生み出してきたシリコンバレー。ここ数年で大きく変わった点をもう一つ挙げるならば、起業家のプロフィルが変わったといえる。あるいは、品行方正で華々しい経歴の持ち主が増えたというべきか。

ジョブズ氏は大学中退。公私ともに周囲とトラブルを多く抱え、品行方正とはほど遠い歩みをしてきた。ジョブズ氏の盟友で、いまやシリコンバレーで最長老の創業者となったオラクルのラリー・エリソン最高経営責任者(CEO)も大学中退。ジョブズ氏もエリソン氏も起業し、忙しくなって中退したわけではなく、いわゆるドロップアウトした経歴の持ち主だ。

シリコンバレーは、アイデアさえあれば学歴や貧富の差など関係なく投資家から資金を調達し、成功できるのではないかという幻想がつきまとう。ジョブズ氏やエリソン氏は、そうしたシリコンバレー・ドリームの体現者だ。

起業家を輩出し、シリコンバレーを支えてきた米スタンフォード大(カリフォルニア州)
 しかし、現実のシリコンバレーは、学歴も人脈も経験もない若者が、アイデア一つで資金を集め、成功できるほど甘い世界ではない。資金調達に成功している起業家の多くが、スタンフォード大学など有名大学の卒業生で、投資家や成功した起業家につながる人脈をもち、「シリコンバレー村の村人」か、それに準じた人たちだ。

大学をドロップアウトした若者が、今のシリコンバレーで起業し、自らの会社をアップルやオラクルのように成長させることができるかどうか。シリコンバレーが「狭き門」となりつつある。近年の起業家や投資家の動きをみると、ニューヨークや他の大都市圏で起業し、ある程度成功したベンチャー企業が、シリコンバレーの投資家の目にとまり、シリコンバレーに本社を移して成長を遂げるという例が増えている。

代表例が東海岸で起業し、シリコンバレーに移って成功した、SNS最大手のフェイスブックだ。大統領級の賓客を迎えても故ジョブズ氏は黒いタートルネックジーンズ姿。とんがった、こだわる生き方を服装でも主張し続けた。フェイスブックマーク・ザッカーバーグCEOがオバマ大統領を本社に迎えた際はネクタイ姿。ジョブズ氏やエリソン氏とは対照的だ。

一方で、変わらないものは何か。狭き門になりつつあるとはいえ、本当に優秀な人材には機会を与え、失敗を許容する文化は健在だ。

スタンフォード大は年収10万ドル以下の家庭出身の学部学生の授業料を全額免除し、文字通り世界中から優秀な学生を集めている。そうした学生はいずれ「村人」となり、起業したり、優秀なエンジニアとなったりして、シリコンバレーのイノべーション神話の担い手となる。

「僕は実は低いカーストの出身なんだ。インドにいたら、今も貧しかったと思うよ」。サンノゼ市に本社を置くIT大手に勤める、インド出身のある幹部はこう漏らす。「こうして広い家をもち、豊かな生活ができるのは、スタンフォードを出たおかげだ。子どもたちは米国生まれの米国人。差別を受けるインドに帰すつもりはない」

パロアルト市内の閑静な住宅地にあるジョブズ邸。2年前に氏が息を引き取った自宅は、世界で最も株式時価総額の大きな企業を創業した人物の邸宅とは思えない、こぢんまりとした邸宅だ。ここも、亡き持ち主の生前と同じく、今日も変わらず木漏れ日と鳥の声に包まれている。