藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

移ろう常識。

その昔の先生の体罰
お仕置き、と称して竹刀でピシピシ生徒の頭をたたく、とか。
体育会の合宿で二階から階下の雪山に交互に飛び降りる、とか。
慣習などの実態が今明らかになれば、調査委員会の人など卒倒するのではないだろうか。

いわゆる「集団行動」として何がどこまで認められるのか。
管理者や経営者の責任はどこまでか。
自転車事故とか、製造物責任とか、食品事故とか、あらゆる社会分野で「新しい概念」が台頭してきているように思う。
昔のように残業代を支払わぬ経営者はもはや少ないし、ペナルティのつもりで体罰を課すのは生徒の側も「むしろ当然」という空気は相当薄れている。
社会が成熟して、全体に治安も上がり豊かな社会になってきた故だと思うけれど、どこかで一度「それまでの習慣の棚卸し」をしないと、本記事の水難事故のような例はまだまだなくならないだろうと思う。

「これまでは問題にならなかったこと」が、或る事故が起こってみると、途端に「ミス」として罰せられるところが恐ろしい。
時代の常識はゆっくりと変わっているので、注意深くアンテナを張り「これまで」と「これから」を比較することが必要な時代である。

特に自分以外の第三者とのかかわりにおいては、それがもたらす「最悪の場合」を想像する力がなければ、突然の落とし穴にハマるようなことが起きる可能性がある。
これまでのスタンダード、はもうこれからのものとは違う、という時代の変わり目に自分たちはいるのではないだろうか。


水遊び注意せず…死亡の女子学生両親、大学提訴
長野県信濃町野尻湖で5月、合宿中の駒沢大学吹奏楽部の部員2人が湖に飛び込んで死亡した事故で、学生に対する安全配慮義務を怠ったとして、死亡した千葉県市川市大野町、1年野呂千賀子さん(当時18歳)の両親が、大学や当時の吹奏楽部長の男性教授、副部長の女性職員を相手取り、約7100万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
提訴は10月29日付。
 事故は、5月3日夕に発生。水遊びで湖に飛び込んだ横浜市金沢区、3年矢田拓也さん(当時20歳)と野呂さんの2人が死亡した。
 代理人弁護士によると、両親は、吹奏楽部の部員が春合宿の際に、野尻湖で泳いで遊ぶことが恒例になっており、教授らは事前に注意や警告するなどの義務を怠った、と主張している。
 大学は事故を受け、教職員らでつくる調査委員会を設けた。部員などへの聞き取りの結果、「個人ないしパートで深みに飛び込むようなことが過去にもあった」「自分だけ拒否できず、飛び込んだことがある」との意見も寄せられた。
 大学はその後6月、「飛び込みを強要する慣行があったとまでは認め難い」とし、2人が湖に飛び込んだのは「水遊びがエスカレートしたため」と結論づける調査報告書を公表した。
(2013年11月2日14時59分 読売新聞)