藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人生の贈り物、より。(1)

[次の世代に]中村紘子さん。
明けましておめでとうございます。
新年は中村さんのインタビュー特集より。

文章を書くこととピアノ演奏は同じだとわかってきました。「何を伝えたいのか、自分でよく考える」点で。

この一文だけでも価値のある記事である。
文章を書く、あるいは歌を歌う。
または楽器を奏でる。
すべては「何かを伝えるため。」である。
そうした「もともとの意味」のようなものを、稽古ごとでは教わることが意外に少ない。
実に本質的で、根源的なことなのだけれど、もうお稽古、とか、技術の上達、とかが自己目的化すると、「そもそも何のためにやっているのか」ということが眼中にはなくなる。

芸術に限らず万事そう。
ビジネスでも、友人関係でも男女関係でもそうではないだろうか。

時々若い人がピアノのレッスンに来るんですが、私は同じことしか言わないんです。「この音楽で何を伝えたいの?」と。最近は音大生に聴いてほしい音楽を薦めると、「ユーチューブで聴きました」で済ませちゃう。それは知識にしかならない。生演奏を聴かないと、表現の本質はわからないですよ。

youtubeで済んでしまう音楽ではなく、「生演奏を聴かないと"表現の本質"はわからない」という言葉そのものの意味、を考えたいものである。
youtubeは無駄ではない。
ただ「知識にしかならない」。
生演奏のもつ決定的なものは何か?

自分にはまだ「この辺のこと」がよく分かっていないのだけれど、これから長い時間をかけて「こうしたこと」を理解していきたい、という気持ちが強い。

表現者にしか分からない、「伝えたいもの」がいつか分かる日が来ると願って、少しでも近付きたいのである。
(つづく)