藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ウェアラブル+SF=デジタル刺青?

陸上競技の元オリンピック選手、為末大氏は、高性能義足の開発に協力しているが、「アスリートの脚力の限界は、アキレス腱の張力の限界なんです。ところがカーボンを使って理想的な曲線をつくり反発力を持たせることができれば、筋肉疲労がおきないし、軽量化が実現すると健常者を超える記録を出すことが可能になると思います」とその可能性を指摘する。

アキレス腱をカーボンで置き換えた選手が現れたら、これはフィジカル・ドーピングで認められないのだろうか。
義足とか、ギプスとかが「健常以上」の役割を持ったら、そうしたデバイスの使い方は確かにまったく今とは違った景色になるだろう。

SF作家の冲方氏は言う。

、刺青の墨の代わりにデバイス端子を埋め込むようになれば、刺青のデザインをスマートフォンで自由自在に変更できるようになる、と指摘。
「全部の肌に埋め込めば、その日の気分で肌の色を変えることができるようになる。
メーキャップも不要になる。カメラに反応して肌が滑らかに見えるデバイスを埋め込む芸能人が出てくるかもしれない」

男性も「今日はうんと褐色で」とかいう時代が来るのだとすれば、ITの利用は今の「デジタルデバイス」といった域を完全に超えて、再び「別物」になるだろうと思う。
いつも、いつの時代もそうだけれど「時代の少し先」を予想することが最も難しい。
「まさかこんな風になるとは」という話を自分たちは十年ごとに、ここ数百年繰り返しているのである。

少し長い視点で次を考えてみたいものである。


「なんとここまで!」。Google Glassを実際に装着し、使い方の説明を受けたときのSF作家、脚本家の冲方丁(うぶかた・とう)氏の第一声だ。その後「SFで未来を表現しても、2、3年で現実に追いつかれてしまう時代になっちゃいましたね」と、しみじみ語った。

冲方氏によるとスマートデバイスの画面を横にスワイプすることで表示を変えるという操作方法はかって、いかにもSFっぽい操作方法と考えられていた。ところが今はほとんどの人がスマートフォンを持って画面をスワイプする時代。「SF作家は、これからどうすればいいんでしょうか」と笑う

世界をリードする日本のSF
とは言うものの、冲方氏を始めとする日本のSFエンターテイメント業界は、明らかに世界に影響を与え続けている。同氏が劇場版の最新シリーズの脚本を手がける攻殻機動隊は過去にハリウッドに影響を与え、攻殻機動隊にインスパイアされて映画「マトリックス」が誕生したと言われている。

「日本は、小説、漫画、アニメ、劇場版アニメと、1つの題材をみんなでいろいろな形に表現するので、おもしろいものができるのだと思いますよ」。一人の天才が1つのものを作り上げるのではなく、多くのクリエイティビティがばらばらに動きながらも互いに影響を与え、よりクリエイティブな作品が出来上がっていく。それが日本らしいクリエイティビティの昇華の形だというわけだ。

その方法で完成する日本のSF作品は、米国のSF作品と明らかにトーンが違うという。

アメリカの作品は、人間と機械の関係性では、人間のほうが優位という立場を取ることが多い。機械は人間の補助の役割りなんです。でも日本の作品は、どちらが優位かにこだわらない。機械が優位であってもいい。機械が愛しくなる場合だってあります。小惑星探査機はやぶさに対する日本人の熱狂ぶりって、アメリカ人には理解できないんじゃないでしょうか」。「ピノキオは最後に人間になってハッピーエンド。日本だと木のピノキオのまま愛する物語になっていたかもしれないですね」。

その国民性の違いが、ウエアラブル・コンピューターのあり方をどう変えるのだろうか。冲方氏は「日本人はウエアラブルの機能だけを追求するのではなくて、おまもりのような崇拝の対象にするかもしれません。機械が人間より必ず下にあるべきだとは思っていないので」。考え方の違いがSF作品に現れ、互いに影響を与えながら「文化のキャッチボールが行われている」と同氏は分析する。同じような文化間のキャッチボールがウエアラブル・コンピューターの世界でも起こるのだろうか。

富裕層の高齢者がSFのストーリーを牽引
現実をリードしてきたSFアニメは次に何を描こうとしているのだろうか。現実と乖離していくのだろうか。

「現実と乖離してはまずいと思うんです。なので物語の方向が変化していきます。刑事モノのSFなんかは成立しなくなるんじゃないでしょうか。だってデバイスが発達した未来には、犯人がどこかに潜伏するという設定自体が難しくなりますから」と冲方氏は語る。幾つものウエアラブル・コンピューターを身にまとい、ネットとつながった状態の未来の犯人が地下に隠れる。確かにそんなストーリーを展開するわけにはいかない。ネットに接続しない状態では電子マネーもつかえず、生きてはいけない世界になるはずだからだ。

戦争をベースにしたストーリー展開も難しくなると同氏は考えている。「戦争のために開発されたデバイスは一般に普及しない。それより早く普及するのが、娯楽目的のデバイスだと思うんです。なので戦争をベースにしていると、現実と乖離していく。そのすり合わせをどうするかが大事になってきています」

その答えは富裕層の高齢者にある、と同氏は指摘する。「老人たちがもう一度人生を豊かにするためにテクノロジーを取り入れていくという形が増えていくのだと思います」。アニメ映画の中にも、その世界観を取り込んでいく考えだという。「兵隊のサイボーグ化だけだと、現実と乖離していくじゃないですか。富裕層の高齢者が自分たちをどんどんサイボーグ化するという世界観に切り替えていきたいと思っているんです」。

人体を超えるウエアラブルのファッション、娯楽
機械を人間より下に見ない価値観。人生を豊かにするためにウエアラブルを装着したりサイボーグ化する世界観。これが、世界をリードしてきたSF作家が持つ近未来の方向性のベースになる。

この近未来感に立てば、どのようなウエアラブル・コンピューターの登場が今後、予想されるだろうか。

「第1段階は、人体の機能を再現するフェーズ。第2段階はそれを超える高度な機能を発揮するフェーズ。高度な機能とは、娯楽、ファッション、医療、スポーツなどの面での追加機能という意味。それが広がっていくことで、1つの世界が広がっていく。ウエアラブル・サイボーグ世界。それがもう少しで実現してしまうんだなあと思います」。

実際にそのウエアラブル・サイボーグ世界は始まりつつある。陸上競技の元オリンピック選手、為末大氏は、高性能義足の開発に協力しているが、「アスリートの脚力の限界は、アキレス腱の張力の限界なんです。ところがカーボンを使って理想的な曲線をつくり反発力を持たせることができれば、筋肉疲労がおきないし、軽量化が実現すると健常者を超える記録を出すことが可能になると思います」とその可能性を指摘する。

米国の女優エミー・マランス氏は、生まれ持っての病気が原因で両足の下部を切断し、義足生活を送っている。マランス氏が有名講演会イベントTEDで行った講演の録画によると、その日の服装に合わせて身長を高くしたいときには長めの義足をつけるのだと言う。「脚の長さを自由自在に変えることができるなんてずるいって、友達に責められるんです」と笑っている。

SF作家の発想はさらにその先を行く。冲方氏は、刺青の墨の代わりにデバイス端子を埋め込むようになれば、刺青のデザインをスマートフォンで自由自在に変更できるようになる、と指摘。「全部の肌に埋め込めば、その日の気分で肌の色を変えることができるようになる。メーキャップも不要になる。カメラに反応して肌が滑らかに見えるデバイスを埋め込む芸能人が出てくるかもしれない」と笑う。

洋服や化粧品が売れなくなる?
そうなれば化粧品が売れなくなるかもしれない。洋服もウエアラブルデバイスになり、デザインをスマートフォンで自由自在に操作できるようになれば、必要なのは白い服一着だけでよくなる。衣料品が売れなくなるかもしれない。メガネ型ウエアラブルで、どこでも大画面で映像が見れるようになれば、テレビも必要なくなるかもしれない。

大量消費の時代から、モノを蓄積しない時代に向かっているのかもしれない。

「だれかにとってプラスになることは、ほかのだれかにとってマイナスになるかもしれない。なので企業同士のプレゼンテーションでは、未来についてあまり語れない。SFは企業にとって都合の悪いことでも平気で言える。なのでSFは時代を先取りできるんです」。

企業は語らないかもしれない。しかし多くの産業界を激変させるパワーをウエアラブルは持っている。SFアニメは、その少し先の未来を正確に表現しようとしてくれているようだ。(文 :湯川 鶴章)