藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

喜びありき。

大手企業の人事部の友人と飲む。いわく
最近の就活学生さんたちは「営業」を敬遠するらしい。
じゃあ何がいいかというと「総務」「経理」そして「企画」「広報」だという。
へえー、と言いながら。
あ。自分の時代もそうだった。
営業職、というと何かを買ってもらうべく、揉み手をしながら「何とかお願いします」というイメージが強かった。
何か人にヘコヘコして、頭ばかり下げて、無理を言っているような固定観念があったのである。

では今はどうか。

間違いなく営業は社会の主役の一人だと思う。
もう一人の主役は物作りやサービス作りだ。

かつて抱いていたような「ヘコヘコイメージ」とはかなり違う。
上っ面で判断してはいけないな、と思う。

人にものをすすめて、それが受け容れられて、
 お金を出して買ってもらえる‥‥という循環は、
 歌を歌ってよろこばれることや、
 おもしろい話をして笑ってもらうことや、
 絵を描いてほめられることなどに、とてもよく似ている。

三十年ほど前に社会人になりたてで、「提案する」という言葉も初めて聞いた。
売込み、ではなく提案だと。
それも新鮮だったが、やはり営業の原点はもっと原始的なところにありそうだ。
営業の原点は、相手が喜ぶことをする、ということにあるのである。
職業に貴賤なし、という至言があるけれどなるほどその通りだと思うのだ。

・「お店やさんごっこ」というのは、
 たいていのこどもが好きだったのではないかな。
 絵の具を溶いてつくった「いろ水」とか、
 売ったり買ったりする遊びがあったような気がするけど、
 売れるとうれしいし、買うのも楽しかった。
 
 バザーだとか、フリーマーケットみたいなところ、
 高校だか大学だかの文化祭での出店も、
 みんな生き生きと熱心に「あきない」をやっていた。
 売ったり買ったりというのは、なにか、
 ずいぶん昔からあるような、とても根源的な
 人間のよろこびにつながっている気がする。
 
 何度かやった「ほぼ日」のアンケートでも、
 たのしみとしてのトップにあがっていたのは、
 二位に圧倒的な差をつけての「ショッピング」だった。
 いまはどうか知らないけれど、ある時期、
 「ショップ店員」というのが、
 若い女の子のひとつの憧れだったという情報があった。
 「ショッピング」の対称になる「セリング」も、
 たのしさのひとつとして成立しているのではないか。

 人にものをすすめて、それが受け容れられて、
 お金を出して買ってもらえる‥‥という循環は、
 歌を歌ってよろこばれることや、
 おもしろい話をして笑ってもらうことや、
 絵を描いてほめられることなどに、とてもよく似ている。
 「いいでしょう」「いいですね」のやりとりは、
 歌や絵や表情やらばかりでなく、
 商品のかたちをしたものでも、それがあるのだと思う。
 
 「お店やさんごっこ」のたのしさは、
 ほんとうの「お店やさん」にも生きているんじゃないか。
 そんなふうにも考えられる。
 真剣だったり、誠実だったりは、むろん大事だけれど、
 「売る」「買ってもらう」ことのたのしさがあるから、
 もっといいものをつくろうとか、仕入れようとか、
 いそいそと励みたくなるのではあるまいか。
 「ばかもん、そんな『ごっこ』じゃないよ!」と、
 叱られるかもしれないけれど、ぼくにはそう思えるなぁ。
 
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
本日は、ずうっと、毎日ホールにいるわたくしたちです。