藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

大切な時

*[次の世代に]仏教の教えにも。

一目惚れでもそうでなくても、人を好きになる時には「別れの時」のことを考えたりはしないものだ。

恋は盲目とは誰が言ったか知らないが名言だ。

 

けれどどんな関係にも終わりは必ずやってくる。

死別もあれば別離もある。

親子でも友人でも夫婦でもパートナーでも。

だから、自分たちはそんな「必ず別れる前提」で付き合いを始めるべきではないだろうか。

え?

会うは別れの始め、と言った人がいる?

え? 仏教ですか?

 

会者定離(えしゃじょうり)。

人は生かされている限り、必ず死から逃れることはできないので、出会いがあれば、必ず別れがやってくる。別れがあるからこそ、人の出会いは財産になっていく事もあるので、その人と過ごす時間を大切にしなければという意味もある。

 

これですこれ。(今日の記事はこれでおしまいだ)

歳を取ってくると、どんどん「目上の人たちとの別れ」がやってくるようになる。

若い頃には滅多にお葬式なんてなかった。

もちろん死別でなくともパートナーとの別れも経験したりするだろう。

 

そしてようやく「いろんな人間関係はお別れすることが前提で始まっている」ということを体感するようになる。

それが老いるということなのかとも思う。

 

年寄りが物事に動じなくなるのは、そんな諦観が身に備わってくるからに違いない。