藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

まずは個人の保護から。


もう、特に職場などでは男女の区別は「なし」なのだという。
性差を考慮しないというのではなく、それぞれの特徴には配慮しつつ「男か女か」という二元論をする時代ではないということらしい。
「男子たるもの」とか「女性らしい」というのは象徴的には形容詞としては残るけれど、ビジネス用語としてはNGワードになってきている感じがする。
会社の会議で「男のくせに」とかいう表現は(すでに)もう恐らく使われていないだろう。

同様に同性が好き、とか家庭環境がどうだ、というようなことも共通的に「話題」からは消えている。
昔の噂話の人事の時代が懐かしくないと言えば嘘になるくらい、そうした話題は「デリケートかつ取り沙汰しないこと」になってきている。
先進国ではアパルトヘイトとか性差については人権の主張が過ぎる、という印象も本音では感じるけれど、それにしても数十年前と比べて明らかに「差別はしないもの」という空気が醸成できているのは一つの教養だろう。

人種の差別なんて本質的には下らないこだわりだ、ということが段々と根付いてきているのは間違いないだろう。
それにしても、井戸端会議的に「彼は今家族が病気で大変らしい」とか「最近結婚を決めたようだ」とか、様々な個人情報にナーバスになって、そうした話がまったく把握できないのも「会社というコミュニティ」では困る部分が出てくるものだ。
育児休暇とか傷病手当については国の制度の運用ができるけれど、本人を取り巻く細かな状況が、特に企業の側からは「あまり積極的に収集できない」というのは実生活上は色々と不都合があるものである。

いずれそのうちに「こういう項目については互いに告知しましょう」というような取り決めが出来てくるのではないだろうか。
より差別や偏見のない、けれど堂々と公表すべき個人情報の時代がそのうちにやってくるような気がする。
こんな変化も、ここ十年くらいにどんどん進んでいる。
情報化社会はこんなところにも透明化や「一定の良識」を形成する役割があるのではないだろうか。