藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

人生のto doリスト。


二十代のころよく仕事のto doリストを作っていた。
現場の営業にいると、こまごまとした連絡事項とか、資料の作成とか、もっと中長期的な課題とか、あるいはぼんやりと勉強したいことだとか、実に大小様々なto doに追われる。

優先順位を付けたり、また捨てる項目を作ったり、短期のものは上に、長期のものは「裏側に」などといろいろ工夫したものだった。

市販の手帳もずい分使ったし、終いには印刷屋さんに頼んで自分用のto doカードも作ったことがある。
(文房具の好事家は誰しも一度は手帳とかカードを誂えているようである)

昔はリスト一面、びっしりとやることが書いてあったが、今の手帳は大分様変わりしていて、項目の数がずい分少ないが、内容はより曖昧で難しかったり大きく長いテーマなどが並んでいる。
数が少ないのでもうリスト化する必要もなくなっているのかもしれない。

ふと思いついたのだけど、「これからやらねばならないこと」がto doリストだったけど、そうじゃなくて「できていること」「できていないこと」のリストの方が今の自分には重要になってきている。

長い意味では半世紀生きてきて、この間できていることと、いないこと。
これは結構重たい話である。

「今しなきゃいけないこと」とかいうよりも、自分の半生で「してきたこと、できていないこと」を目の当たりにするわけだ。
そうすると当然「そもそも自分は何をしたかったのか、あるいはこれから何をするのか」ということと向き合うことになる。

人生のto doリストか。
私が自分の人生でしなきゃいけないこと、ってなにか運命論的だけれどそろそろそんなことを考える年になってきた。
若い人がこんな話を聞いてもピンとこないだろうか。
五十歳になった自分をぜひ想像してみてもらいたい。