藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

これからのクラウド

インターネットの高速化と普及で花咲いたクラウド
もうデータや主要な演算は「あちら側」に全面的にお任せ、という気運が常識になってきている。
スマホで撮影した動画や写真も、ただちに「あちら」に送られるし、こちら側には最低限のアプリしか残っていない。
数年前にJAVAなどでこちら側にソフトを送って「こちら側でプログラムを動かす」というのが主流だったことに比べると、技術のトレンドの変化も目まぐるしいものがある。
(そのまた十年前は「何でも中央で処理」というのが当たり前だったし)

回線の容量もずんずんと広がり、数年前には珍しかった"クラウド"という言葉はもう日常の語彙になってしまった。

「あちら」の物を閲覧する時代、から「あちら」にいろんな物を格納する時代になった。
これからのあちら、はどんな様子だろうか。

「あちら」の計算機の処理のスピードやコストは上がる一方。
もうこちらで余分な設備を増強する必要はない。
これからの「あちら」では「計算」とか「判断」とか「選別」が出来る時代になるのではないだろうか。

具体的には、例えば今の検索エンジンは「複数のキーワード」を拾って検索の対象をひっかけてくるが、例えば「カテゴリー分けする能力」はあまり高くない。
例えば書籍などの優位性は、まさにそうした「編纂レベルの高さ」にあるわけだが、これが「あちら側」で「ある色分け」を自動でやるような「知的分類エンジン」のようなものができてくれば、今の「知的情報編纂」の書籍の絶対優位が初めて揺らぐのではないだろうか。
もちろん書籍と同様、分類の方法などは一つではないけれど、そうした「書籍的アプローチ」こそがこれからの検索の肝になるのではないだろうか。