藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

無力感に浸る場所。


習い事の効用は、「一本道筋がついていること」だ。
上達するのに近道はなく、けれど努力をすれば全く無駄になることもない。
無駄だと思えたことも、何かの経験値になり「次につながるところ」も習い事の特徴だ。

そういう「地道な保証」がある代わり、「それ以外の保証」はない。

人間、何十年も生きてくると何をするにしても「経験値」がたまってくる。
毎日生活する上で、無意識にも「過去の経験値」を使って生きてしまう。

当たり前で、いいことでもあるけれど「常に過去を引きずっている」とも言える。
大人が子供の質問に、たいてい答えることができるのは「経験値」がモノを言っているからだ。
本当に「子供の立場に」なって考えれば案外難しいものだ。

そういう「経験値で分かったようなものをいう」ということが習い事にはあまりない。
自分の過去の経験値では「新しい習い事」には通用しないからだ。

「その道」で何かを言おうとすれば、その道での経験値しか使えない。
習い事の効用はそんな「無力感」の中に自分自身を置くことではないだろうか。

人生経験値の通じない「その世界」にだけ身を置くことで裸になるような感じだ。
どんなに年を取っても、瞬間で「無垢の子供に戻る」ような経験が習い事の特殊性だ。
日常生活とは違う「特別な場所」に意識して我が身を置くのって秘密の隠れ家を持つように楽しいものである。