藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

見過ごされてきたもの。

数の多寡ばかりが問題ではないとはいえ、これまでは「人力」に頼って「まあ、仕方がないよね」とされてきたものが、機械化されたりITが自動化したりすると、途端に問題になるのはどう考えても不思議だ。
日本だけでも、未だに交通事故の死者は4千人を超えていて、二千年当時の半分以下にはなっているとはいうものの、他の天災に比べたらどエライ数字である。

以前もちょっと書いたけれど、よくこういう「車両交通システム」が世の中に受け入れられたものだと思う。

車のない社会で突然、大メーカーとか政治家とかが国民にプレゼンして「これだけの経済効果が見込めますので、年間数万人の死亡者は覚悟しましょう」なんて言ったら即ボツになるのに違いない。

さらに、コンピューターが進化し過ぎると、人の仕事が奪われる、という表現も必ず出てくるけれど、もう「産業」とはそういうものである。
そりゃ郵便局の仕事は減るけれど、技術とはそういうものだと体感している人の方が多いだろう。

コールセンターが登場して「一括窓口」が実現したために、世界中のいろんなオフィスで「電話応対をしていた人」の仕事はその部分では消失している。
それをさらにAIがやったとて本質的には変わりはない。

「新しい技術」は最初は「信用されず」に苦労し、今度は「脅威論」で排斥される。

そうしていつの時代も、苦労した一握りのフロンティアが後から大いに賞賛されるのだ。
できればそちらに回りたいと思う。