藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

終わりが分かってから。

時の流れは怖いもので、この世に時計がなければまさか自分が50年以上も生きているとは気づかないだろう。

若い時の意識というのは「限りがない」という感覚だと思う。
ダイビングで真っ青な海の中を限りなく泳いでいくような、どちらかというと「恐れ」が強い気がする。

この先どこまでこの世界が続いているかも分からない。
自分が今どこにいるのかも定かでない。
島や陸地があればそれを縁(よすが)にもできるが、見当たらない。

なんでそんな話をしているかというと。
十代の時に「時間を大切に」と言われてきたことが、からきし心に響かなかった自分。
愚かなことに、「だんだんと」分かってくる。
それでも「だんだん」だけど。

"時間の感覚が、人生の終わりとともに分かってくる"という「終末の感覚」が実は自分の人生そのものなのだ。
そういう「終末の感覚」が自分に芽生えてからが、自分の人生の使い方の妙ということではないだろうか。