藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ライブのすごみ。

最近、シェフや板前さんたちと話していてつくづく思うのは「これが原点」だということだ。
彼たちは今のところ「AI」とか「自動化」というところからは無縁である。
それどころか「技の継承」という観点でもだいぶ危うい。

多くの名料理人たちは「一代限り」でその使命を終える。

中でも運のいい巡り合わせがあれば「次の当主」が生まれる。
そんな話を音楽家の友人と話していたら「料理でも音楽でも絵画でも彫刻でも習字でも」"芸術とはみなそういうものだ"と諭された。

禁欲的に、自律的に、孤高を追い求めて極める芸術。
みなそれは一代限りのものなのだ。
そんな一流の人たちほどではなくとも。
自分の人生で自分が感じ、生きてきた道もまた、誰もその跡をたどることなどない。

一期一会ならぬ、自分の人生は自分だけで一度きりなのだ。

誰もが数限りない場面を過ごし、良くも悪くもその一生を過ごす。
そんな「線」をあえて記録するとか、受け継ぐ、という感覚がそもそも違っているようだ。

ライブの演奏がその一瞬で消化され、後に残らない。
それこそが人の一生のようなものなのだ。
記録に残らず、再現できず、でもそこで体験できることが生きるということなのだ。