藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

要るとき以外はいらなくなること。

ほぼ日より。
いろんなお店で発行するクーポンとかポイント。
もともとマメではなかったが、確かに年とともに明らかに避けている自分がいた。
これはどうも「豊かになったかどうか」ではないらしい。

「得をしない」ということは
「損をする」ということではない、とわかるまでに、
ずいぶん時間がかかったような気がする。

多分年齢と関係していると思う。
けれど、これって分かっている人は結構分かっている。
逆にクーポンを目の敵にして集めている人もいる。
"クーポンの亡者"のようになっている人は果たして幸せなのだろうか。
そういえば「株主優待」でほとんど生活している人もいるという。

できれば何ものからも自由に暮らしたいものである。

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・いつのまにか、クーポン券を集めなくなっていた。
十年くらい前だったら、近所のパン屋さんのクーポン券で
パン切り包丁をもらったりしていたのだけれど、
このごろは「あ、クーポン券けっこうです」と断ってる。
なにか、おまけのようなものは嫌いじゃないのだけれど、
ほしくなかったものまで、ほしがる必要はない、と、
そういう気持ちになってきているのだろうな。

飛行機のマイレージも、まったく要らない。
マイルを貯めても、どこに行くつもりもないのだから、
そもそも貯めるつもりがなくなった。
ほんとうにどこかに行きたいときには、
そこでチケットを買っても、損をするわけでもない。

こういう「要るとき以外はいらない」という考え方に、
急になったわけではない。
だんだんと、そう考えるようになったのだ。
いちばん悩んだのが、船舶免許の法改正のときだった。
もともとぼくは「四級船舶免許」というものを
持っていたのだけれど、その更新のときに、
(詳しいことは憶えていないのだが)
なにかをちょっと勉強するだけで
免許の「格上げ」ができるということを知った。
でも、よくよく考えて、「四級」以上の資格は必要ない
と思って、そのまま「四級」で更新した。
なにも後悔はしてないし、損したという感覚もない。

「要らないものでも、タダならもらう」ということが、
だんだんと少なくなってきている。
もともと魅力を感じてないもの、使えないものが、
いくらあってもゴミが増えるだけのことだ。
「得をしない」ということは
「損をする」ということではない、とわかるまでに、
ずいぶん時間がかかったような気がする。

そんなぼくが、ほしがるおまけというものもある。
他にありそうでないもの、だったり、
直観的に欲望をつんつんと突っつくようなものなら、
いまのじぶんでも、ちゃんとほしがるということなのだ。
おまけこそ、クリエイティブの活躍の場だと思うなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
優秀な「おまけ制作プロダクション」があれば繁盛するよ。