藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

目的と手段の不一致。

*[次の世代に]平等主義の誤謬。

CO2の排出量を2割下げるとか、観光客を4000万に増やすとか。

オリンピックや万博だからとか。

世の中、結構「なんでなの?」という目標が一人歩きするものだ。

この「女性幹部の比率目標」もよくわからない。

この多様性の時代に。

もう「男か女」だけではない時代に。

仕事場での「男女比率」をテーマにすることは、やはり先進性があるのだろうか。

そもそも仕事場に「性別差の話」を持ち出すことがちょっと本末転倒ではないのか。

そもそも男たちはそんなに「女性の台頭」を妨げてきたのだろうか。

今でも見た目「ガツガツ」しているのは男が多いと思うが、本来の能力差はそれほどないのではないか。

(だとしたら今の社会の構図は、割合自然な構成なのではないだろうか)

 

ウーマノミクスなどと言って「男女の比率」だけを合わせに行くのは形式主義に思えて仕方ない。

そのうち「年代の格差」とか「職業別の格差」などと言ってなんでも均質化しようとする感じがする。

ただ男女比率に差があるから、それを縮めよというのは平等を優先しすぎていると思う。

能力主義さえ標榜できれば、大きなお世話ではないだろうか。

 

ゴールドマン、ウーマノミクス実践へ