藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

根拠なき闘争。

男性優位の時代と戦争の世紀はかなり重なる。
男女同権を推進することは、世界を平和に導く一歩となるはずだ。

この一節だけでも男は自省の余地があると思う。
さらには「男か女か」という設定も多様性の時代には少なからず古めかしい。

それにしても「争い」「戦争」がなぜ起こるのか、という問題は未だ解決を見ていない。

貧困、民族、宗教、(侵略の)歴史、資源…
いろんな原因は取り沙汰されるが、どうして「私権を主張し、争い、戦うのか」ということは根本的な命題だと思う。
先進国でも争いはどんどん起きているし、途上国ではさほどひどくないところもたくさんある。

ネットでアダルト産業の世界を少し覗いてみれば、男の性質とか滑稽さがわかる。
「天下国家を論じ、武器などを担いで…」ってなんのためにやっているのか、当の男たちは実は分かっていなかったのではないだろうか。

「男どもが天下国家を論じて武器などを担いであちらこちら走り回っている間も、女たちは着実にエレガントに次の世代を用意してき

 「男どもが天下国家を論じて武器などを担いであちらこちら走り回っている間も、女たちは着実にエレガントに次の世代を用意してきた」。作家の池澤夏樹氏がそう書いている。人類が女性だけになれば、世の中からもう少し争いごとが減るのでは、と思わなくもない。

▼勇ましい女性がいなかったわけではない。巴御前ジャンヌ・ダルクは自ら戦場に立った。とはいえ、それは例外だから歴史に刻まれたのだ。多くの女性は銃後にあって、戦地の夫や息子の無事を祈ってきた。男性優位の時代と戦争の世紀はかなり重なる。男女同権を推進することは、世界を平和に導く一歩となるはずだ。

▼きょうはひな祭りである。男の子の節句は祝日なのに、女の子の節句が普通の日なのはどうなのか。たいていの女性はそう思った経験があろう。子ども時代の刷り込みは、社会の深層心理に大きな影響を与える。女性の地位を高めていくには、こどもの日を3月と5月でときどき入れ替えてみるのも、一案ではなかろうか。

▼政党が擁立する候補者の男女比を「均等」にするように促す法律が間もなく制定される。義務付けにしろ、「同数」と明記しろ、などの批判はあるが、まずは踏み出すことが重要だ。米国の女権運動家アリス・ポールは参政権を得たあと、力説している。「ここで満足してはいけない。私たちはもっと遠くまで行ける」と。