藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

仮想通貨のこと。

*[ウェブ進化論]通貨の定義。
facebookが新しい通貨を発行するという。
これとbitcoinとは何が違うのだろうか。
仮想通貨の話は、「実世界」へのある種の挑戦だと自分は思う。
つまり、デジタル技術を使うものの、実は「過去(いにしえ)の貨幣経済についての挑戦」であると思うのである。
結局、これまでの通貨は何を根拠に発行され、流通してきたのか。
それは「金」の発行料なのか。
それともbitcoinのマイニングなのか。
この辺りの整理を自分たちはしなければならない時期にきていると思う。
おそらく。
おそらく、金本位制を離脱したアメリカの政策が「通貨と経済」を飛躍させたに違いない。
そして今、「根拠のある通貨」が求められて、出現したのがbitcoinなのではないか。
つまり「根拠のない通貨をどうするのか」というのが現代のテーマなのだ。 
どんな国も、金も根拠ではなく「何かの頼りになる発行の根拠」が求められている。
仮想通貨のようなかっこいい手段を使わなくても、根拠のある人たちは信用がある。
仮想通貨の時代には、結局リアルで信用を取った人が基準になるのではないだろうか。
実は仮想でもなんでもない。
 
 
   技術の明るい側を信じる 
  2019年8月19日 4:30
この1カ月ほど、米フェイスブックが打ち出したデジタル通貨「リブラ」についてコメントを求められない日がない。伝統的な金融秩序から考えれば、リブラは確かに脅威である。テクノロジー業界には自らを脅威と捉えられることを半ば喜ぶ風潮もあり、そのことが話題性をまた増幅させている。

 
    マネーフォワード取締役兼Fintech研究所長。野村証券で家計行動、年金制度などを研究。スタンフォード大学経営大学院、野村ホールディングスの企画部門を経て、2012年にマネーフォワードの設立に参画。  
リブラのインパクトとは何なのだろうか。意外と、その脅威とメリットはイメージ化されていないようにも感じるため、少し具体的に考えてみたい。
最も脅威といえるシナリオは、テロリストがこの暗号資産を保有し、武器の購入に充ててしまうことだろう。また犯罪の対価としてこの資産が支払われたり、大規模な脱税に使われることなどが考えられる。これらの行為は当然ながら、社会の不安定さを誘発するものである。
またリブラを預かる保管事業者が、リブラ財団から許可を得てリブラを独自に発行し、そのお金が不動産や企業株式の購入に使われるといった、本来発生しなかったような資産の移転や、突発的な価格高騰といった変化を促すことも考えられる。
中央銀行や銀行制度は、金融政策や信用創造といった形で経済へのインパクトを生みうるため、実に多くの制度的な制約を課されてきた。制約のない存在が生まれれば、経済における不安定な要素が追加で生まれることになる。
一方で、メリットはシンプルである。個人が裏付けのある資産を簡単に保有することができ、即時に送金ができる手段が生まれることである。
リブラのプロモーション動画を見ればわかることだが、その目的は主に発展途上国で、銀行口座を持つことが困難な人たちに資産を保全する手段としての提供がされたり、出稼ぎをしている人たちが家族に送金をしたりすることが主眼にある。まさにフィンテックの一大テーマといえる、銀行口座を持たないため十分な金融サービスを享受できないアンバンクト問題が解かれていないことへのソリューションといえる。
既にお気づきのように、リブラの推進を行う主体は、既に米国議会での証言や、リブラそのものの構造などによって、前述の不安に対する反論を行ってきている。
その実効性は、例えば過去に暗号資産が薬物取引や犯罪資金の移転に使われたイメージからも、批判の余地があることもまた事実だ。問題は世の中の通常の支払い手段と比べてそれがどうか、という点である。
例えばダイヤモンドや金、ドル紙幣などを使った同じような行為は、継続的に取り締まられているとはいえ消えてはいない。犯罪自体がなくなっていないことは、報酬や対価の発生する違法取引がなくなっていないことの証左でもある。
仮にではあるが、途上国の地元の銀行よりも秀でた本人確認方法をフェイスブックが提供できた場合には、監督下に置かれるお金の手段が増えることで、一般市民のお金が犯罪者の側に流れにくくなる効果も期待できるのではないか。
技術に罪はない。ナイーブさを承知で、技術の明るい側に期待を寄せ、その使い方をいま一度ポジティブに考える側でありたいと考えている。
   [日経産業新聞 2019年8月15日付]