藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

老いの凄み。

若いころほどに、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ。
1日に三人の女性とデートするとか(たとえ話。やったことありませんよ、聞いた話です)。
もう膨大なプログラムのバックログ(まあやり残しのことです)に、ひたすら月に200時間くらいの残業で立ち向かうとか。
もう体力勝負というか、怖いもの知らずというか。
そして朝まで飲んで、そのまま出勤。
その日の帰りにまた終電逃して飲みに行く、とか。

結局そういうのは、品質の劣化を起こしていたと思うけれど、それでも「生産性を考えよう」というよりは「数と時間で攻めよう」という態度だった。
でそういうことができなくなった。

「結果にコミットできないことはやらない」といえば最もらしいが、「ひたすらにがむしゃら」ということに頼れない年齢になっているのだと思う。

馬力が無限ではなくなっている。

結果が出ようが出まいが、ともかく俺は行くゼ!というだけの馬力はもうないのだ。
そういう馬力は「ある程度目算のあること」に費やしたいのだ。

新しい人と会うのにも慎重になる。
会った後、仲良くなるのも時間がかかる。
そういう「温存根性」があるから、即断しないことも増えてくる。
そういうのが多分「老化」だ。

無駄に精力を使うことはないけれど、「ここ一番」と感じた時に瞬発力を持っていないと若者には敵わない。
老いるのは構わないが「いざという時の決断とフットワーク」だけは最後まで備えていたいものだ。

そうすれば、かなりの年まで現役でやっていけるのではないだろうか。