藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

手間こそ美しい。

年と共に何事にも「段取り」とか「効率」を考えるようになる。
どうしたら無駄なく結果を出せるか。
逆に言えば「どんな風に手を抜くか」ということを考えているのだ。
これはこれで年配者の知恵だと思う。

ところが音楽とか稽古事とか。
これは「一気に結果を出す」ということがしずらい。
誠にしずらい。というかそういう近道のないのが芸事なのだ。
基礎練とか、型の稽古とか、譜読みとか、地道な準備を経ずして結果は出ない。

そういう「要領をかます」ことが出来ない分野については、むしろ年と共に関心が高まってくるのじゃないだろうか。
年代物のアンティークグッズが人気なように「時間の蓄積があってこそ」のような存在には畏敬の念を強く感じるようになってくる。
新しくてメカニカルな物よりも、年代物の手作り感のあるもののほうがいい、とか。

つまり、自分の残された時間には「効率化」を求め、
また「すでに時間とか手間の蓄積されているもの」に惹きつけられる。

老いるというのはそういう「時間の感覚」を楽しむことなのではないだろうか。